• Interview

Creator's File Vol.09 - 音鳴つむぎ

sonoを使っているアーティストやDJの皆さんへのインタビュー企画第9弾。
なんと今回は、第8弾でお話を伺ったLuziqさんがVTuber/VRDJとして大活躍されている音鳴つむぎさんをご紹介くださいました!
第8弾のお話の中でも出てきたように、音鳴つむぎさんのプロデューサーであるフカザワコウジロウさんとLuziqさんは2000年前後の時期から一緒にDJをされていた仲だったとのこと。
そんなフカザワさんが生み出した、デジタル空間の中で活動する音鳴つむぎさんという少し不思議な存在の魅力はどこから湧き上がっているのか?たっぷりとお話を伺う中でインタビュアーの私自身が理解し感じたことを、この記事でお伝えすることが出来れば幸いです。

VTuber「音鳴つむぎ」はどのようにして生まれたか

mimy: 早速なんですが、つむぎさんがVTuber/VRDJとして活動を始めたきっかけをお聞かせいただけますか?

音鳴つむぎ: わたしがデビューしたのは今からちょうど2年くらい前、2021年の9月です。
それ以前、わたしのプロデューサーであるフカザワは、近くのバーや配信でDJをやったり、MixCloudにミックスをアップしたりして細々とDJ活動をやっていました。
あるとき、フカザワのデザイナー友達でイラストレーターのspicagraphさんという方が、プロデューサーのミックスのためにジャケット絵を描いてくださったんですね。

音鳴つむぎさんが生まれるきっかけとなった、spicagraphさんによるフカザワさんのミックスのジャケット絵。spicagraphさんは、すぴかあやかさんという名前で活動している有名なデザイナーでいらっしゃいます。

音鳴つむぎ: そのジャケット絵は「もしもフカザワを女の子にしたら」というイメージでspicagraphさんが描いてくださったんですが、その絵に出てくる女の子のことをフカザワがいたく気に入りまして。
当時、2018年頃はVTuberのようなものが出てきた頃合いで、わたしの創造主であるところのプロデューサーは「このイラストの女の子が動き出して本当にDJをやったら楽しいんじゃないだろうか」ということを考えてその気持ちを温めていたようなんですけれども、そうこうするうちにコロナ禍が訪れました。
世の中が色々と変わる中でフカザワは「活動の幅をちょっと広げたいな」ということでわたしを創造し、プロデュースを始めて、2021年からわたしがDJをしていると、そういう流れになっています。

mimy: なるほど。つむぎさんのお誕生日は9月23日となっていますが、それはつむぎさんが今の体を授かった日ということですか?

音鳴つむぎ: 実はわたしの体自体は2021年の8月頃にできていて、試験的にパフォーマンスをしていたんですけども、「音鳴つむぎ」という名前が決まってTwitter(現X)に書き込みを始めて、皆さんに​​はじめましてのご挨拶をした​​その日がわたしの誕生日になっています。

mimy: ということは、つむぎさんは今まだ2歳くらいということになるんですか?

音鳴つむぎ: ここは不思議なんですけれども、わたしは28歳なんですね。
でも、さらに不思議なことに、わたしが「おぎゃー」と生まれたタイミングで既にそれ以前からDJをやるなど様々な体験をした記憶が残っていたんです。だからわたしと話していると結構昔のお話も出てくると思うんですけど、前世の記憶なのか、それともプロデューサーの記憶がそのままわたしに移植されているのですかね。わたし自身はあまり細かく気にしないようにしています。

「音鳴つむぎ」の名前の由来

仮想空間の中で活躍するつむぎさんのポートレート画像。

mimy: お名前を命名されたのはプロデューサーのフカザワさんということですが、お名前にはどんな由来があるのですか?

音鳴つむぎ: 音楽をやるVTuberということで、「音が鳴る」というところから「音鳴」という名字は最初に思いついて気に入っていたみたいです。
名前のほうは、当初はお星様にちなんだ名前をつけたいなと考えて、「テラちゃん」とか「スピカちゃん」とかレポート用紙にいっぱい名前を書き出してくれたんですけど、その頃には例えば星街すいせいさんのように、お星様にちなんだ名前のVTuberさんが既にいらっしゃったので、結局は「割と素朴な名前が良いよね」ということになり、音を紡ぐというところと引っかけた「つむぎさん」くらいがなんだかおとなしいイメージで良いのかなということでプロデューサーが名付けてくれました。
今となってはすっかり慣れてしまって、わたしもすごく良い名前だなって思っています。

VTuberからVRDJへと活動の幅が広がる

配信ライブのときのつむぎさんの様子。

mimy: つむぎさんはVTuberとして生まれ、その後はVRChatやclusterでもDJをされていらっしゃいますが、どういう流れでそういったいわゆるVRSNSでも活動するようになったのですか?

音鳴つむぎ: わたしが人と交流して生きていく世界として、VRの世界はわたしがデビューする前から「入りたいな」と憧れを持っていたんですけれども、最初は何も繋がりのない状態ですので、まずはとにかくYouTubeにわたしのこの姿とパフォーマンスとミックスを上げていくことを地道にやっていくところから始めました。
ただ、VRでDJしていらっしゃる方のことは当時から追っていて。VRChatの中で「Rookies Sound Festa」というルーキーのためにDJをする機会を設けてくれるイベントがあったんですね。「Rookies Sound Festa」はついこの間clusterで共演させてもらった​​RAMYchan(れみぃちゃん)という先輩VRDJさんが企画したイベントなんですが、それが公募制だったので、声をかけて出させていただいたのが2021年の11月です。だから、デビューして1ヶ月とちょっと経ったくらいで早速出る機会を得たんですよ。

mimy: それでは、最初からVRChatなどVRの世界にも入っていきたいというお気持ちがありつつ、まずはVTuberから始めたというところでしょうか。

音鳴つむぎ: デビュー当時はまだ曖昧な部分があったんですけれども、VRSNSの中でDJをしていくうちに「やっぱりわたしは基本的にはVTuberでありたいな」という気持ちが固まっていって、今は配信をメインの形として動画を残すのを活動の中心としています。

つむぎさんにとってのリアルとバーチャルの関係性

リアルな世界の部屋の中に登場するつむぎさん。

mimy: Twitterの固定ツイートに並んだ画像には、つむぎさんがリアルな空間の中からこちらを見ている写真もありますよね。つむぎさんの中では現実と仮想空間の境界線は特になく、シームレスに感じていらっしゃるのですか?

音鳴つむぎ: わたしの中ではもうメタバースにも現実の中にも存在している感覚なんですけど、今のところわたしはカメラを通じてでないと人には見えないというか、人の前に姿を現すことができないんですね。
ただ、少し順番を飛ばした話をすると、いつかこのバーチャルの姿のままリアルなクラブの中で皆様の前でDJをするのは一つの目標です。
現実にもどんどん出ていきたいという気持ちも込めて、現実での写真はいっぱい撮りたいですね。

mimy: では、もう少し世の中の技術が進んだら本当につむぎさんが現実空間の中に現れてDJをする日がきっと来るでしょうね。

音鳴つむぎ: そうですね。今の技術でも出来ないことはないんですけど、それはとってもお金のかかる話で、民生用の技術ではやっぱり難しいですよね。でも、この辺りの技術の進歩って、ここ数年を見てても本当にすごいので、いつか叶うときが来たらいいなと思ってます。

mimy: 私もsonoで叶えたいこととしてVRの音楽プラットフォームを作ることがあるので、今話しながら「つむぎさんがリアルとバーチャルの垣根を超えた形で活躍できる場を作るぞ」と改めて決心しました!

音鳴つむぎ: 基本的に今のメタバースはどのような遊び方もできる汎用のプラットフォームですけれども、これが音楽表現に特化することになると面白いことになるだろうなと思ってますので、わたしからもぜひ実現していただきたいなと応援しています。

mimy: ありがとうございます!

つむぎさんが活動する仮想空間はどのように生み出されているのか?

雑談配信をするつむぎさん。インタビューのときも、この空間からお話してくださいました。

mimy: 今、つむぎさんは素敵なピンクの空間からインタビューに参加してくださっていますが、この空間はご自身で作られるのですか?それとも周りに協力してくれる方がいて、こういった空間が生み出されているものなんですか?

音鳴つむぎ: これはごめんなさい、あまり面白い話にはならないんですけれど、こういうVTuber用の背景素材というものが販売されていて、それを買いました笑

mimy:
いろんな種類があるんですね!

音鳴つむぎ: でも、わたしがいつもDJをしている、「Bar Fractions」という緑色の空間は、元はうちのプロデューサーが初めて行った京都のバーがモデルになっています。

mimy: ということは、プロデューサーのフカザワさんがご自身でその空間を作られたということですか?

音鳴つむぎ: そうですね、うちのプロデューサーが頑張って作ったものです。

mimy: すごい!!!
私も今自分でワールドの制作をしているところなんですが、ほんとに難しいので作れる人は尊敬です。

音鳴つむぎ: もう「Unity何もわからん」っていうね笑

mimy: やればやるほど何もわからない笑

音鳴つむぎ: 難しいですよね。

フカザワさんが制作したオリジナルワールド「Bar Fractions」には2種類あり、こちらはDJブースをお客さんが取り囲むBoiler RoomスタイルのほうのワールドでつむぎさんがDJ配信をしている様子(撮影:cube_mmさん)

中学生の頃からハウスミュージックに魅了される

mimy: つむぎさんはハウスミュージックのDJをしてらっしゃいますが、ハウスミュージックに惹かれていったのはどのような経緯があったのでしょうか?

音鳴つむぎ: 元々ゲームミュージックとかは好きだったので、小学生の頃からレンタルCD屋さんに行って電子音楽を聴いていたんです。それが中学校くらいになると、お友達の中でダンスミュージックが好きな人が周りに出てきて、友達同士でいろいろなCDをカセットテープやミニディスクのような媒体に移して回し聴きするようになりました。
当時はエイベックスさんが海外から面白いダンスミュージックをいろいろと仕入れていまして、例えばわたしの年代からしてもちょっと古いんですけど、昔六本木にあったヴェルファーレというディスコやジュリアナ東京あたりのコンピレーションCDだったり、スーパーユーロビートシリーズだったり、そういったものを中学生の間で楽しく聴いてたんですね。
皆んなでユーロビートの歌詞を空耳で日本語の詞にしてゲラゲラ笑ったりとか、そういう馬鹿なことをやってるうちに、例えばヴェルファーレのコンピにBarbara Tuckerというハウスのシンガーさんの曲を見つけたりして。このBarbara Tuckerというのはどんな人なんだろうと興味を持ってレンタルCD屋でCDを借りて聴いてみたら「何これかっこいいじゃないですか」みたいになるわけです。

音鳴つむぎ: 多分その前に聴いていたジュリアナ東京のCDではイタロハウスが序盤のほうに入っていたので、それを聴いてある程度の素養が出来上がってたんだと思うんですけど、当時はテクノもハウスも何もわからなかったものの、とにかくその反復する音の中で生身感のあるパワフルな女性ボーカルが延々とぐるんぐるん回ってるのがすごく刺さって。それを聴いてるうちに、当時流行っていたArmand van HeldenなどのUSハードハウスの音がどっと入り込んできて、「かっこいいな」と思ったのがハウスとの馴れ初めですかね。
だから最初にわたしが曲名とアーティスト名をセットで覚えてるハウスといえば、Barbara Tuckerの「I Get Lifted」とArmand van Heldenの出世作である「Witch Doktor」。その二つが強烈に印象に残ってます。

mimy: その辺がルーツなんですね。

音鳴つむぎ: うん。今にして思うと、ハウスはあんまり周りには理解されにくかったですけど、それくらいの頃から楽しく聴いてましたね。

mimy: 周りのお友達はそこまでハウスに興味がなかったと。

音鳴つむぎ: 周りのお友達で一番人気があったのは、ユーロビートかやっぱりJ-POPだったなという印象です。

サブカルブームの波の中でDJを知る

mimy: その頃初めてDJという存在を知ったということでしょうか。

音鳴つむぎ: まずは、ヴェルファーレのCDでもジュリアナ東京のCDでも、ラップを交えながらMCしてる人たちの存在に気が付きました。
CDのジャケットを見たらJohn Robinsonとかいう外国の方がいて、この人は何なんだろうと、そこでDJというものを知るわけです。DJというくらいだから、ラジオと同じでお喋りをしながら曲を紹介する人なのかなと思いきや、どうもそれだけじゃないらしいと。

音鳴つむぎ: 当時はサブカルブームが起こってきていた時代で、テレビ番組を見てると例えばNHKでもKEN ISHIIさんや、ヒップホップならDJ HondaさんのようなバトルDJが出てきたり、あるいはシンセサイザーでパフォーマンスするUnderworldみたいなグループがあったり、Tei Towaさんもいらっしゃいました。その一方で、ポップスのほうに目を移すとtrfという人たちが現れ出して、後ろでキーボードを叩きながらレコード回してるロン毛のお兄さんは誰だろう?と。それが今をときめくDJ KOOさんなんですけれど、そういう音楽をかっこよくかける何かがあるんだなということがワーッと入ってくるわけですよ。
YMOとかも好きだったので、シンセサイザーやキーボードを弾くか、もしくはDJを自分でもすごくやってみたくなりました。でもDJ機材はすぐには揃うことがなかったので、とにかくまずは親にカシオトーンを買ってもらって練習をして、「頑張ろう」って思ったけど・・・鍵盤は続きませんでした笑

mimy: そうだったんですね笑

初めてのDJ体験はリック・アストリー

mimy: なんかおかしいな、28歳の人と話しているはずなのに私と同世代のような気がしてきました笑

音鳴つむぎ: 28歳なら95年以降の記憶しかないはずなんですけれども、生まれた頃の95年の話をしているよ?みたいな笑

mimy: SFの中にいるようなタイムリープ感がありますね笑
しばらくの間は、音楽は演奏やDJをするというよりも聴くことが主な楽しみ方だったのですか?

音鳴つむぎ: 高校生の頃、駅から学校までの結構遠い道を歩いていたら、ちょっと不思議なスペースがあったんですよ。一つのお店を区切って、たくさんのフリーマーケットが出店しているようなスペースだったんですが、「なんだろう」と思って寄り道をしてみたら、雑貨や古いレコードや、あとはターンテーブルとミキサーを備えた小さいお店がその中にあるんですね。
気になってしげしげと眺めていましたら、このお店のお兄さんから「お姉さん、DJ興味あんの?」と語りかけてもらったので、「聴くことはちょっと興味があって、やってみたいというか憧れているんです」という話をしてまして。
わたしもその頃はユーロビートからもうちょっと聴く音楽が広がって、ユーロビートのルーツになる80年代のハイエナジーを後追いで知るようになっていた時期でしたが、そこに並んでいるレコードがまさに80年代のディスコなんです。
マイケル・フォーチュナティーやリック・アストリーやDEAD OR ALIVEやマドンナとかがバーッて置いてあったのですが、ちょっとは知っているので「こんなのもあるんですね」という話をしたら、そのお兄さんが「お嬢ちゃん若いのにすごいね、見込みがあるね」みたいにすごく気に入っていただいて、「ちょっとやってみる?」と、お店に入らせて​​もらえることになりました。

音鳴つむぎ: ヘッドフォンを着けさせてもらうと、お兄さんがリック・アストリーの「Never Gonna Give you Up」と「Together Forever」という2大シングルを売り物の中から取り出してきて、「これを左から右・右から左にずっと繋げてみて。一度ピッチを合わせたら後はもう簡単にできるから、まずはどんなに時間かかってもいいからテンポを合わせて左に右にジャグリングしてみよう」っていうことをやってくださったんですね。「キックのところを捕まえてドスドスドスとやって、これをぱって送り出したらそのままスッとと入るから」ということで、頭出しとビートマッチングからしっかり教えてもらいましたね。それでもやっぱり最初は四苦八苦したんですけど。

mimy: そんなに教えてもらえるなんて、お店の方は一体何者だったんですかね。

音鳴つむぎ: そのお店のオーナーさんというのが実は、インド人の大富豪みたいな名前のディスコでプロのDJをされていたそうで。

mimy: マハラジャですか笑

音鳴つむぎ: うん。当時は80年代のレコードなんてほぼ投げ売りされていたみたいで、そのオーナーさんはお持ちのレコードを売り場に出しながら雑貨も売るというお店をやっていたんですね。そしてお店にいたのはオーナーさんのお友達DJというか、ちゃんとは聞いてないんですけど、今にして思うとお弟子さんみたいな方だったのかな。
そのお弟子さんからオーナーの方にもご紹介してもらって、一番最初にそのお店でレコードを買ったんですね。でも再生機器は持ってないので近くの電気屋さんに行って、全然DJ用ではない何千円かの安物のベルトドライブのレコードプレーヤーを手に入れました。それに針を落として、とにかく再生はできたんですが、その後スクラッチみたいなことをしようとしたら、ベルトドライブだから当然うまくいかない。

mimy:

音鳴つむぎ: 「あれ?おかしいな」となって、お母さんに「あんたそんなんしたら潰れるで」と言われて、そうだよねみたいな。そういうことがありつつ、1年くらいはひたすらレコードに針を落として聴いてました。

mimy: ではその頃にインプットの量がかなりあったんですか?

音鳴つむぎ: でも、学生の小遣いなので1ヶ月に1枚くらい買う感じでしたよ。インプットはレンタルCD屋さんに行って借りたほうが効率が良かったんですけど、とにかくレコードを所有してることが嬉しくて。90年代当時に聴く80年代ですから、なかなか一緒に喜んでくれる人もいないんですけど。
わたし自身は小さい頃、Winkというアイドルデュオが昔のユーロビートをカバーしていたのを聴いていて、子供心にかっこいいなと思っていたんですよね。だから、その辺りの音に雰囲気が近い80年代の音がわたしの中ではドンピシャのサウンドだったんです。ハウスについてはさっき喋ったように衝撃を受けてたんですけど、一番最初は80sのビートでした。

DJ機材を譲り受け本格的に練習開始

DJのときも踊っているときも、心から楽しそうにしているつむぎさん。

mimy: それでは1年経った頃から実際にご自身でDJをしてみることになったんでしょうか。

音鳴つむぎ: そうなんですよ。
そのお店に通い始めて1年くらい経った高校卒業前の頃、オーナーのお友達のうちの一人がDJを辞めることにしたらしく、ターンテーブルとミキサーと所蔵しているレコードを売ってしまいたいと話しているというのを聞いたんですね。
今にして思うと寂しい話ですけれども、当時はやっぱりディスコDJを続けていくのはきつかったのでしょうか。それで、「つむちゃんそれどう?」っていうお話をもらったんです。
わたしは当時、お年玉をあんまり使わずに10万円くらいは何とか頑張って貯めていたので、「これくらいしかないんですけど、どうですかね」とお伝えしたら、お話を繋いでくれて、「それでもいいよ」ということになりました。ターンテーブルやCDJを新品で買ったら10万円じゃきかないことはわかっていたので、本当にありがたいお話でしたね。
それから一、二週間くらいした後でしょうか。そのお兄さんが車でおうちまでターンテーブルとミキサーと、あと段ボールに二、三箱のレコードの山をドーンって持ってきてくださって。わたしは銀行から引き出した諭吉さん10枚をニコニコ現金払いしました。
親にもこういうお話をしてはいたんですけど、特に反対もされず。ちょっと厳しい親だったらさすがに駄目だったかもしれないんですが、ある意味放任主義の親で良かったなとは思ってます。

mimy: それはラッキーでしたね!

音鳴つむぎ: かくしてわたしはターンテーブルと、おもちゃみたいな小さい2チャンネルのミキサーと、たくさんのハウスや80sディスコのレコードを手に入れて、ひたすらおうちでずっと曲を繋ぐことを始めることになりました。やり始めたら本当に、2時間でも3時間もできましたね。

mimy: 時間、融けますよね。

音鳴つむぎ: 融けますね。始めると面白くて面白くて。

VTuberとして、コミュニティを育てるということ

VRSNSでのDJイベントにはたくさんの人が集まる(撮影:いんふぉさん)

mimy: プロデューサーのフカザワさんも、大阪のほうのパーティーにご出演されていらっしゃるようですが、フカザワさんやつむぎさんが今後進んで行きたい方向など、何かお2人で決めてらっしゃることがあれば、聞いてみたいです。

音鳴つむぎ: うちのプロデューサーは、基本的には無理がない範囲で楽しくDJができればと思っているようで、あまり野望のようなものはないみたいです。
わたしに関しては、一つ夢があるとしたら先ほど申し上げたように、このわたしの姿で現実のクラブの中でDJができるようになったら嬉しいなということが一つあります。あとは、ハウスを一緒に楽しんでくれるお友達をいっぱい作りたいということを活動の基本的な目標にしています。
ただ、じゃあどこまでたくさん作ったら目標を達成することになるのかというと、ちょっとわかりにくいので。最初の目標がチャンネル登録者数1000名様というのが一つのわかりやすい目標だったんですけど、今はそれもありがたいことに達成させていただいたので、これからチャンネル登録者数をどこまでも伸ばしていくのが良いことなのかは、正直ちょっと迷っているところではあります。
ありがたいことにVRDJとして評価をいただけるようになってきたんですけれども、わたしとしては、VTuberとしてはまだひよっこもひよっこだと思ってまして。
VTuberとは何かを考えたときに、わたしはいわゆるコミュニティをうまく作る人だと思ってるんですよ。だから、お友達やお客様とコミュニケーションを取りながら、わたしのVTuberとしてのコミュニティを​​盛り上げていくことができれば良いですね。
今のわたしが言うにはちょっとおこがましいお話なんですけれども、VTuberというものが持っている「貫通力」というのでしょうか、これまでダンスミュージックに触れたこともなかった人たちが、そういう音楽やDJに触れて「面白い」と思ってもらえる一つのきっかけになるんじゃないかなって思っていて。「音鳴つむぎというVTuberが出てきたので見てみたらハウスミュージックというものをやっている。聴いてみたらかっこいいじゃん」という風になってもらえるのが目標というか、夢ですかね。

mimy: なるほど。VTuberという形で活躍されているつむぎさんという存在を軸として、周りの人たちにハウスのような音楽が広まっていって、そこから先更に相乗効果が生まれるようなイメージを抱きました。

音鳴つむぎ: うん。別に​​うちのプロデューサーのイベントじゃなくてもいいので、リアルの箱やDJさんにも興味を持っていただいて、「近くでハウスをやっているところはないかな」とか、「地元にどんなDJさんがいるのかな」とか、もしくは「地元に有名なDJさんが来てるから、ちょっと見に行ってみようかな」とか、そういう気持ちを持ってくれる方が1人でも2人でも出てきてくれたら、わたしとしてはすごく嬉しいし、​​「わたしが生まれてよかった」と心から思えますね。

いつかこのつむぎさんの姿を、リアルな箱でも見ることができる日が来るかも!​​(撮影:至日レイさん)

mimy: つむぎさんのお話を聞いていると、音楽に対する愛がすごく伝わってきますね・・・!

音鳴つむぎ: プロデューサーが飽きずにずっとDJを続けてきてくれて良かったなと思います。前回のインタビューでLuziqさんが話していたのと同じように、うちのプロデューサー自身もDJにブランクがあるんですけれども、結局DJという趣味をやめずにずっと続けている中で、わたしが生まれたわけですから。
そういう意味では、プロデューサー自身も音楽をすごく好きなんだろうし、わたしもやっぱりそれを受け継いでいるんだなって思いますね。

ハウスミュージックについて、これからも学び続ける

音鳴つむぎ: わたしはハウスのお勉強をちゃんと始めたのって、デビューをしてからなんです。それまでは何となく聴いて気に入ったものをかけるくらいだったんですけど、こうやってハウスDJ系VTuberとして生を受けて、YouTubeやSNSでお話をしていくことになると、やっぱりお勉強しないと駄目だなと。
HouseDJ系と名乗るのであれば、せめてソウルフルハウスとテックハウスの違いくらいは勉強しとかなきゃって思って、それで今は活動を通じていろいろと物を書くなど含めてアウトプットをしています。例えばハウスのレジェンドの特集ですね。「今日はLouie Vegaの曲だけをかけ続けます」とか「Kerri Chandlerだけやります」「Francois K.だけやります」と、そういう回を設けたりしてるんですけど、それってもう全部わたしの勉強のためなんですよ。ハウスDJだったら誰でも知ってる彼らの音を、わたしは何となくしか知らないままやっていたから、自分がちゃんとわかるようになるためにテーマを決めて配信したり、今になってそういう本を読んだりしているんです。
そうして学んだことをTwitterに書いてみたら、DJの先輩から「これ違いますよ」ということを教えてもらえるので、その場合はお礼を申し上げて訂正してまた書き込んで、そんな風にちょっとずつハウスの勉強を続けています。

mimy: つむぎさんのTwitterを拝見していて、すごくハウスに詳しいなとは思っていたのですが、そんなにストイックに学んでいらっしゃったんですね。

音鳴つむぎ: でも、いろいろなところで勉強をしたことを書いたりお喋りしたりインタビューを受けたりすると、自分が専門家として期待されてると感じて「ちゃんとお答えしなきゃ」という思いからついついものを断定で喋ってしまい、後悔をしたこともあるんですよね。「こうだ」と話して後から考えると「違うよ」ということも出てきたりするうちに、やっぱり断定で喋るんじゃなく、「わたしはこういうふうに解釈してるんですけど」といった感じで、そういう謙虚な気持ちはいつまでも大事にしていたいなと思っています。

mimy: 今回のお話の中でも、つむぎさんのストイックさと謙虚さがひしひしと伝わってきました!
そして、オンラインでインタビューしている間は常に画面の向こうにつむぎさんの姿が映っていたのですが、話しているうちになんだかデジタルの世界に生きている妖精とでも話していような、不思議な感覚にとらわれました。

そんな音鳴つむぎさんの配信情報や各種SNSアカウント等については下記にまとめていますので、是非チェックしてみてください!

【音鳴つむぎのYouTubeチャンネル】
DJ配信やそのアーカイブ公開・雑談配信や、たまにゲーム実況もやってます。
https://youtube.com/@dj_tsumugi

【配信スケジュール】
2023年11月現在、毎週木曜22時に、DJ配信と雑談配信を交代でやっています(将来変更される場合があります)

【各種アカウント】
X(Twitter) https://twitter.com/dj_tsumugi
Instagram https://instagram.com/dj_tsumugi/
Mixcloud https://mixcloud.com/dj_tsumugi/
VRChat https://vrchat.com/home/user/usr_99b6c0c6-96a6-45b1-9068-733d5ace3c99
cluster https://cluster.mu/u/dj_tsumugi

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