• Interview

Creator's File Vol.02 - Ushishi

sonoを使っているアーティストやDJの皆さんへのインタビュー企画第2弾。
今回は福岡でDTM専門スタジオ「Fired UP STUDIO」とレーベル「Fired UP RECORDS」を主催し、ご自身もトラックメーカーであるUshishiさんにインタビューさせていただきました。
Ushishiさんと私は同じ福岡在住で、時々テクノのパーティーで顔を合わせたり、Fired UP STUDIOをレンタルさせてもらったりなどお世話になっています。
そんなUshishiさんがトラックメイキングを始めた経緯やレーベルとスタジオの運営についてなどお伺いします。

Fukuokan Minimal House、そしてマスタリングワークショップの話

mimy: 今日はよろしくお願いします!

Ushishi: よろしくお願いします。

mimy: 早速ですが、Ushishiさんと私が最初にコンタクトを取ったのはいつでしたっけ?

Ushishi: Selecta(福岡の親不幸通りにあるクラブ)で行われたDTMの講習会みたいなイベントですかね。初めてお会いしたのは覚えてるんですけど。

mimy: 初めてお会いしたの、Selectaだったんですね!すっかり忘れてました(笑)
でも、Ushishiさんの存在を知ったきっかけはよく覚えてます。何年前かは思い出せないんですが、当時ミニマルハウスというジャンルを検索していたらDJ Warpさんのブログの記事が引っかかって、Hypnotic Roomから出ている「Fukuokan Minimal House」のシリーズを知ったんです。
それで「福岡にこんな活動をやってる人たちいるんだ!かっこいい!」と思って、コンピの参加者であるUshishiさんとYuuki HoriさんWarpさんをTwitterでフォローさせてもらいました。

Ushishi: なるほど、はい、はい。

mimy: そしたら皆さんがフォローバックしてくださって。その後、UshishiさんがやっているFired UP STUDIOで開催されたマスタリングのワークショップにも参加するようになったんですが、でもSelectaのワークショップが先だったわけですね。

Ushishi: その時お会いしたのが一番最初だったと思います。

mimy: あの時どうして私だと気付いたんですか?
多分Ushishiさんから私に声かけてもらえたような。

Ushishi: そもそもあんまり女性が参加されてなかったから、(参加者一覧を事前に見ていて)この人がmimyさんじゃないかな?と。そう思った記憶があります。

mimy: 確かにそういえば女性は少なかったですね。
その後、Fired UP STUDIOでToru Ikemotoさんのマスタリングワークショップが開催された時に私も参加させてもらいました。その時にYuuki Horiさんにも初めてお会いした覚えがあります。他に誰が参加してたんでしたっけ?

Ushishi: マスタリングワークショップはDJ ONIさんの回とかもやってるから、いつ誰が参加していたかうろ覚えですね。

mimy: ONIさんのワークショップはしっかり覚えてますよ!Dj StanllieさんT.B.さん、Yuuki Horiさん、そしてWarpさんもいて。

Ushishi: 東京から来られたHipHopのトラックメーカーの方もいましたね。

mimy: あれはいつ頃の話でしたっけ?

Ushishi: もう5年ぐらい前ですね。

mimy: そのぐらいは経ちますね。

Ushishi: うん。2017年とかですかね。(※後から調べたら2019年でした。)

mimy: その後、そのとき参加したメンバーでFired UP STUDIOに集まってDTM会をするようになって。

Ushishi: そうですね。はい。

mimy: 私も毎回DTM会に参加させてもらって、すごい人たちの中にペーペーの自分なんかが入ってていいのかな?と思ってました。混ぜてもらって本当にありがとうございます!

Ushishi: いいえ、こちらこそです。

高校生でクラブミュージックの世界に飛び込んだ’90年代

mimy: ところで今日はUshishiさんご自身のことや、レーベルのこと、スタジオについても根掘り葉掘りお尋ねしたいなと思っておりまして。
そもそもあんまり個人的なお話は伺ったことがない気がするんですが、音楽活動を始められたのはいつ頃でしょうか?

Ushishi: 最初はテクノを聴くだけだったんですけど。
今のいわゆるクラブミュージックとしてのテクノを聴き始めたのは高校生の頃、電気グルーヴのオールナイトニッポンがきっかけで。でも、それより前はYMOやクラフトワークもテクノと認識して聴いていました。

mimy: なるほど、電子的な音が好きだったと。

Ushishi: そうですね。

mimy: Ushishiさんが高校生ぐらいの頃っていつ頃なんでしょうか?

Ushishi: ’90年代前半ですね。
高校生の頃、’94年だったんですが、本格的にクラブミュージックを聴き始めたと同時に石野卓球さんが電気グルーヴのライブで福岡に来られて。そのすぐ後に「シータ」というクラブでDJイベントがあることを知り、そこで初めてクラブに行きました。

mimy: 高校生でクラブデビューですか!

Ushishi: 当時はIDチェックという概念すらなかったから、親から外出の許可さえ得られれば、特に何も問題なかったような。

mimy: でも、夜遅い時間帯のイベントだったりしたんじゃないですか?

Ushishi: 帰ってくるのがもう朝で(笑)

mimy: はじけた高校生じゃないですか(笑)
クラブにはおひとりで行ってたんですか?

Ushishi: 同じ電気グルーヴ好きの友達と行ってました。

mimy: クラブに着いてきてくれる友達がいたの、良いですね。

Ushishi: そうですね。もしひとりきりだったとしたら、今考えると行ける気はしないですね。

mimy: そうですよね。いいな、羨ましいな。
私が高校生の頃は周りにテクノ聴いてる人がいなくて、皆んなハードロックとかメタル側の人たちばかりでした。

Ushishi: なるほど。

mimy: 私は高校時代はハウスミュージックという言葉も知らなかったけど、なんとなくテクノやハウスの雰囲気が好きで、ヨーロッパの方面のダンスミュージックというざっくりとした認識でそういう音楽を聴いてました。
周りに同じ趣味の人たちが全然いなかったから、孤独に聴いてましたね。

Ushishi: でも確かにテクノを聴いていたのは僕の周りぐらいしかいなかったです。

mimy: ’90年代中頃といえば、それこそ男の子たちはハードロック系を聴く子が多くて。R&BとかHipHopやレゲエが世界的に人気を博した時代ではあったけれども、日本国内に於いてはまだまだマイナーというか。

Ushishi: あとはみんな渋谷系を聴いていましたね。

mimy: ああ、そうでしたよね!渋谷系は聴かなかったんですか?

Ushishi: あ、でも僕BOØWYとか好きだったんですよ。布袋さんのアルバムも聴いていて。

mimy: 私も高校時代、布袋さんのライブに行きましたよ!

Ushishi: ああ、それはすごいですね。

mimy: あの頃布袋さんは「GUITARHYTHM」というアルバムのシリーズを出していて。布袋さんが「GUITARHYTHM SERIOUS? TOUR」をもってGUITARHYTHMシリーズは終わりにする!というときに「これは行かなきゃいけない」という気持ちに駆られて、一人で行きました。

Ushishi: そうなんですね。

mimy: そしたら周りは怖いお兄さんたちばっかりで(笑)
「うわぁ」って思いながらも、布袋さん遠くから見ても大きいなーって普通に楽しみました。
UshishiさんもBOØWYを聴いてたんですね。

Ushishi: BOØWYがもう解散した後に、全作入ったボックスセットを買ったりもしました。

mimy: なるほど。それが中学生ぐらい?

Ushishi: いえ、もう高校生になっていますね。

mimy: その後、高校生にしてクラブに遊びに行くようになってからは、クラブイベントにどっぷりな感じですか?

Ushishi: そうですね。
当時、高校を卒業して予備校に通っていた頃だったと思うんですけど。今泉にあった「シータ」というクラブにフランスで有名なDJのローラン・ガルニエ(Laurent Garnier)が来たんです。そのときのフロントアクトが東京のYO-⁠CというDJだったんですが、彼がいわゆるハッピーハウスと呼ばれていたジャンルのDJでして。

mimy: ハッピーハウス!ありましたねー!

Ushishi: YO-⁠Cさんのプレイに影響を受けて、それ以降はハッピーハウスをよく聴くようになりました。

mimy: なるほど。その時からUshishiさんはDJもしてたんですか?

Ushishi: DJはまだ全然していませんでした。
同時期に行った石野卓球さんのイベントではがっつりテクノがかかっていて、僕はそういったテクノよりもジャーマントランス寄りの雰囲気が好きなんだと段々と気付いて。内心なんだかテクノは自分のフィーリングとは違うなぁと思っていた頃にハッピーハウス系のイベントに出会って、「これだ!」と思ったんです。

mimy: なるほど。

Ushishi: 当時はレコードプレイヤーも持っていないし、CDしか買えなくて。
そういった状況でも、福岡の「ティーンエイジ・ドリーム・レコード」というレコード屋さんにUKから輸入されたCDがたくさん売っていて。ポップアップや説明書きもなく、どんな内容かもわからないんですが、アーティスト名だけで音楽を想像しながらハッピーハウス系のCDを買っていました。

mimy: ジャケ買い的なやつ!

Ushishi: そうですね(笑)
ハッピーハウス系というジャンルは情報がそもそも全然なかったので、苦労して掘ったことを覚えています。当たりがあったら嬉しいみたいな。

mimy: インターネットもそれほど発達していない頃にディグっていたんですね(笑)

Ushishi: ですね。多分それが19歳とかの頃です。

mimy: 情報源も雑誌かラジオくらいですよね。

Ushishi: といっても、音楽雑誌の内容は東京を中心とするレコード屋さん基準なので。そういった雑誌で特集されるようなCDは福岡に運良く入ってきても、何枚かのうちのたった一枚だったりして。なので、当時は自分のディグが雑誌を抜いてしまっていました(笑)

mimy: それこそタワーレコードとか行って試聴してみて、「ああ、こんなのなのか」と初めてわかるような感じでしたね。

大学時代に所属した「テクノ部」からDJ活動を開始

mimy: 本格的にDJを始められたのはいつ頃なんですか?

Ushishi: その後、予備校を経て大学に進学して、大阪の大学に受かったんですが、その頃にちょうどジェフ・ミルズが大阪に来日していて。
今ではとても考えられないんですが、当時はそのイベントでオープン前でもクラブの入り口までずらっと行列ができていたんですよ。テクノのイベントなのに(笑)
他のお客さんと一緒に並んだりすると、なんとなく会話したりし始めて仲良くなったりして。

mimy: 完全にライブハウスのノリじゃないですか(笑)

Ushishi: そうして仲良くなった人の一人が大阪芸術大学の学生さんで。大阪芸術大学にはテクノ部というサークルがあって、自分の大学ではなかったんですけれど、そのサークルに入らせてもらえたんですよ。

当時DJをしていたときのUshishiさんの様子。

mimy: テクノ部ってどんな活動するんですか?

Ushishi: 学祭が行われる際に、一部の教室をクラブ化するんです。そこで初めてDJをしました。

mimy: そうなんですか。ヴァイナルで回してたんですか?

Ushishi: そうですね。ちょうどテクニクスのターンテーブルを1台買っていたんで。
そういった経緯でDJを始めて、次の年には自分で「Fired UP」というイベントをオーガナイズするようになっていって。

mimy: あ、「Fired UP STUDIO」のネーミングはそこから始まったんですか!

Ushishi: はい、’97年頃です。

mimy: その時期から既に「Fired UP」の名前があったんですね。
ちなみに、そのネーミングにはどういった由来があるんですか?

Ushishi: 当時好きだった何かの曲に「Fired Up Mix」というクレジットが書かれていて。特に深く考えず「ここから取ってしまおう!」という感じで。

mimy: それが今でもスタジオやレーベルの屋号として残っているとは、ものすごく歴史の長い名前なんですね。

Ushishi: 長いですよね(笑)
’97年だからもう20年以上になりますね。

Ushishiさんがオーガナイズしていたイベント「Fired UP」のフライヤー。

「Fired UP」ブランドを冠したレーベルとスタジオのスタート

mimy: その「Fired UP」というイベントも長く続いていたんですか?

Ushishi: 大学を卒業した後、特に就職もせずにしばらく大阪をぶらぶらしていた空き時間も使って、結局在学中を含めて3年半ほどはイベントを継続しました。
その後、実家に帰った頃に何か違うことをしたくなってレーベルを始めた感じです。

mimy: そうなんですか、すごいなぁ。
レーベルは最初から徹底してフィジカルなメディアだけを出していたんですか?

Ushishi: というよりは、当時はデジタル配信もなく、フィジカルリリースしか手立てがなかったからですね(笑)

mimy: でもCD形式を選ぶのではなく「ヴァイナルオンリーでいくぞ!」みたいな?

Ushishi: 当時はまだクラブでCDをかける人なんてほとんどいなかったんですよ。CDJも、せいぜいCDJ-1000というCDをクラブでかけるための機材が出たぐらいの時期で。
CDJが徐々に出回り始めたのは2003~2004年くらいの頃だったのかな?それに、当時はものすごいレコードバブルの時代でもあったんですよ。

mimy: レーベルとしてのコンセプトも、初期から既にテクノミュージックの制作に絞っていたのでしょうか?

Ushishi: 2000年ぐらいに友人からサンプラーを買わせてもらったんですが、自分自身は色々な音をサンプリングして楽しむ・遊ぶというぐらいで、立派な曲といえるような完成には至っていなかったんです。
それまではDJはDJだけをする人で、作曲する人は作曲だけをするというふうに分かれていて。
でも、PC環境が発達してオーディオを手軽に扱えるようになってくると、自分の周りの知り合いでも「曲も作るDJ」という人が増えてきました。そんな中で知り合いのDJがとても良い曲を作っていたので、「これはリリースできるんじゃないか?」と思ってですね。

mimy: なるほど。周りのDJたちが作曲を始めたからなんですね。

Ushishi: そうですね。優秀なトラックメーカーでもあるDJたちが知り合いにいるから、レーベルにできるんじゃないかと。

mimy: 周囲との繋がりや関係性がすごく良い方向に作用したんですね!それからUshishiさんも曲を作りながらDJをしたり?

Ushishi: いえ、それからはレーベルの運営活動がメインになって、自分自身の曲作りは適当というか、全然曲にもならないパーツが集まるだけで力尽きるみたいな(笑)
自分の曲はあんまりリリースも出来ていなかったですね。

mimy: 自分自身の曲よりは他人の曲を出していこうと。

Ushishi: そんな感じで活動していました。

mimy: イベントもしながらですか?

Ushishi: その頃にはもうイベントとしてはやってなくて、レーベル活動だけですね。

mimy: Usihishiさんは他にWeb制作の仕事もされていらっしゃるので、レーベルとWeb制作の二束のわらじのような形だったんでしょうか?

Ushishi: その頃はまだWeb制作を始めておらず、普通にフリーターだったんです。よくある話だと思うんですけれど、30歳手前のときにWeb制作を学べる学校に入って、そこで勉強してから仕事のひとつに出来た感じですね。
その頃まだWeb制作というのは黎明期で、未経験でも全然就職できたので、しばらく派遣で働いてからフリーランスになりました。

mimy: 独立して、、、みたいな感じですか?

Ushishi: うーん、独立というほどちゃんとしたものでもなくて。バイトの延長のような感覚です(笑)
別の事業をやりつつ、Web制作もやってるよ、みたいな感じですね。

mimy: いろんな事業を含めて会社を経営して、そのついでに音楽スタジオが出来たということでしょうか。

Ushishi: 会社の事務所の一角を音楽スタジオとして使ってるという感じでもありますね。

福岡市中央区、桜坂の近くにあるFired UP STUDIOの看板。スタジオは余計な音を吸収する調音パネルにより良質な環境の中、自分のPCを持ち込むだけで制作・ミックス・マスタリング等の作業を行うことができます。

mimy: 「Fired UP STUDIO」としての音楽スタジオが出来てからは何年ぐらいなんですか?

Ushishi: ちょうど10年前です。

mimy: そうなんだ!10周年!

Ushishi: 10周年ですね。
とはいえ、レーベルもこれまでに絶え間なくリリースし続けているわけではなくて。
その時々でジャンルも変えつつリリースをしていますし、リリースのペースも自分の気分が乗ったときにだけやっているので、全然そんなバリバリやる気のあるわけじゃないですね。

mimy: 気分が乗っている時がベストタイミング(笑)
それにしても、WarpさんやYuuki Horiさんという名だたるトラックメーカーの方々とはずっと仲が良いですよね。

Ushishi: Warpは僕が大阪時代にやっていたイベントとしてのFired UPのレジデントDJと幼なじみの仲なんです。

mimy: そうなんですか!
Warpさんのご出身は福岡と伺っていますが、幼なじみということは、そのレジデントDJの方も福岡出身ですか?

Ushishi: そうですね。彼も福岡出身で、僕とは違う大阪の大学に通っていて。

mimy: たまたま同郷の3人が、大阪で集まってイベントを回していたということですか?

Ushishi: 僕のやってるイベントでは「福岡出身だけど今は東京でDJをやってる」という知り合いを呼んだりしてたので、そういった流れもあって、「地元で幼なじみ(Warpさん)がDJしている」という噂を聞き、彼も呼ぼうとなったのがきっかけです。

mimy: Warpさんはその頃からもイベントでテクノをガンガン流していらっしゃいましたか?

Ushishi: 当時はテクノというより、僕自身も含めて、トランスとかハードハウスを流していましたね。

mimy: 皆さんなんだかジャンル変遷の経緯がかなり似ていますね。
Yuuki Horiさんとの交流やリリースした経緯はどうでしたか?

Ushishi: HoriさんはFired Upからのリリース以前に、Warpの主宰しているHypnotic Roomからのリリースのキャリアがあって。Warpが福岡にDJイベントで来たとき、僕にHoriさんを紹介してくれたんです。

mimy: それからずっと仲が良いと。

Ushishi: そうですね。

mimy: 音楽ジャンルがトランスからミニマルに寄っていったのは、どういった経緯だったのでしょうか?

Ushishi: ミニマルは、ちょうど10年ぐらい前ルーマニアンミニマルが流行り始めたときに、ファブリックというUKのクラブが出しているミックスCDのシリーズでRhadooの作品が出てて。
それまで僕はトランスが好きでアッパーな音楽ばっかり聴いていたのでちょっとディープなのは正直いまいち理解できなかったんですけど、RhadooのミックスCDを聞いて、「あ、これなら俺でもわかる」と思ったんです。

mimy: WarpさんやHoriさんも含めて皆さん同時期にミニマル路線に傾いていったんですか?

Ushishi: いや、多分、Horiさんは元々そういう音楽が好きだったと。
Warpも、Hypnoticでリリースを手がける頃は結構もうテクノだったので、彼ら2人がいつからミニマルになったのかは僕もよくわからないんでですね。

mimy: なるほど。いつか別の機会に、ご本人たちにお伺いしてみたいですね。

トラックメーカーやレーベルとして、今後の展望

mimy: ところで最近はまたトランスの曲作りもされていらっしゃるとか。

Ushishi: はい、サイケデリックトランスの曲を。
サイケデリックトランスも、これまで実はいまいちちょっと魅力がわからないというか、いや、良いのはわかるんだけど、、、と思っていたのが、去年ようやく「わかった!」と思って。「サイケデリックトランス、理解した!」と(笑)
それで、サイケデリックトランスを作りたくなって、一気に作り始めました。

mimy: そうだったんですね。どこかからリリース予定があるんですか。

Ushishi: 全くないですね(笑)
本気で作ったからすごく個人的には満足してるので、自分で聴いてます。

mimy: へえ、聴いてみたい!

Ushishi: 聴けますよ、Soundcloudに上げてます。

UshishiさんのSoundcloud

mimy: それでは、今後の展望をお聞かせいただけますか?

Ushishi: 僕は元々「頭の中に流れてる曲を作りました」とかじゃなく、頭の中にイメージも曲もないけど無理やり曲を作っているようなタイプなので。
YouTubeにたくさんあるような曲作りのチュートリアルをマスターして、色んなジャンルの曲を自在に作れるようになりたいですね。

mimy: では、今後はサイトランス以外のところにもどんどん着手していかれるのでしょうか?

Ushishi: 今はテクノ作ってます。
ピークタイムテクノっていうんですか、今流行りの。

mimy: やっぱり結構アッパーな感じが好きなんですね。

Ushishi: 最近はアッパーなやつが好きなので、アッパーなものを作ってます。

mimy: レーベルのほうは割とまだミニマル寄りの路線で行くんでしょうか?

Ushishi: レーベルがミニマルなんで、ちょっと今後どうするか考え中です。

mimy: そうなんですね(笑)
何かパーティーはしないんですか?

Ushishi: パーティーはですね、別にDJをするわけじゃないんですが、一応スタッフとしてお手伝いしています。まだ全然イベントの計画中なので詳細は決まってないんですが、7月にやる予定だけは決まっていて。

mimy: 今年の夏ですか。

Ushishi: そうですね。

mimy: 遊びに行かせてください!

Ushishi: はい。また詳細決まったら告知しますので。

mimy: 告知はぜひともsonoを使っていただけると(笑)
今後もご活躍を楽しみにしております!

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