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【寄稿】音の驚きと閃きを求めて - Text by 剛田武 / Takeshi Goda

「音の始源を求めて」は、1950年代半ばに世界の先端を走る電子音楽スタジオとして設立されたNHK電子音楽スタジオにて生まれた電子音楽の作品集です。
その最新作「音の始源を求めて13 松平頼曉 ZENEI(前衛) ELECTRONICMUSIC EDITION」のリリースを記念して、2024年4月27日(土)に東京都のArtware hub KAKEHASHI MEMORIALにてコンサートが開催されました。それが『音の始源を求めてPresents 電子音楽の個展 「松平頼暁」=電子音楽VS環境音楽=NHK電子音楽スタジオ70周年記念事業Vol.3』です。
即興アンビエントユニット「MOGRE MOGRU」や踊れないことに特化したDJイベント「盤魔殿」、そして音楽レーベル「Les Disques Du Daemonium」の主宰者としてご活躍されている剛田武さんが、このコンサートに訪れて詳細なレポートをsonoに寄稿してくださいました。

音の始源を求めてPresents 電子音楽の個展 「松平頼暁」=電子音楽VS環境音楽=
NHK電子音楽スタジオ70周年記念事業Vol.3

2024年4月27日(土)
会場:Artware hub KAKEHASHI MEMORIAL(西早稲田)
主催:大阪芸術大学音楽工学OB有志の会 協賛:株式会社ジェネレックジャパン 協力:スリーシェルズ
助成:公益財団法人かけはし芸術文化振興財団

<曲目>
1. トランジェント ’64 (1964)
2. テープのための「アッセンブリッジス」(1969) 
3. EXPO‘70お祭り広場 「おはようの音楽」(1970) with bulb lighting by Takeshi Mukai
4. テープのための「アッセンブリッジス」Concept by Hiroshi Siotani
アンコール:テープ音楽《Constellation》コンステレーション(1984)

まず初めに断言しておきたい。「現代音楽は怖くない」とか「難しくない」とか「楽しい」とか言われることがよくあるが(実際に現代音楽家・諸井誠による『現代音楽は怖くない(マーラーからメシアンまで)』という書籍も存在する)、それはとんでもない大嘘だ。現代音楽は怖いし、難解だし、わかりにくい。楽しいかどうかは個人の嗜好によるので一概に嘘とは言い切れないが、聴くのが苦痛であるケースが多々ある事は事実である。そして、怖くて難解でわかりにくくて苦痛であるが故に、筆者は現代音楽に惹かれるのである。いつ聴いても即座に理解できて共感できて安心できる音楽・芸術ばかりじゃ何の面白みもない。今まで聴いたことがない、体験したことがない、未知の驚きと閃きを与えてくれる音楽・芸術にこそ心がときめくのである。

そんな現代音楽の中でも、特に怖くて難解でわかりにくいのが電子音楽と言っていいだろう。今の視点で考えると、エレクトロニック・ミュージックは、6,70年代のシンセサイザー音楽や80年代テクノポップやゲームミュージック、90年代以降のクラブミュージックやエレクトロニカ・音響系、21世紀のボカロやインターネット音楽といった進化を経て、現代のリスナーにとっては、難解どころか、最も耳馴染みのある音楽スタイルのひとつになっている。しかし、その黎明期の1950~60年代に、アカデミックな現代音楽の作曲家と音響技師が、世の中に存在しない音を作ろうとしてマッドサイエンティストさながらの発明と実験を繰り返して産み落とした初期電子音楽は、正真正銘、怖くて難解でわかりにくくて苦痛に満ちた、最高の驚きと閃きを内包する音響芸術なのである。

そんな電子音楽と筆者の出会いは今から50年近く前、1970年代半ばのことである。中学生になって、当時流行していたラジカセ(ラジオカセットテープレコーダー)を手に入れた筆者は、ラジオで初めて洋楽ポップスを聴いて、それまでテレビで知っていた歌謡曲や演歌とは全く違う、キラキラ輝くハイカラなサウンドに魅了された。エアチェック(ラジオで流れる音楽をカセットテープに録音すること)が趣味になり、お気に入りの洋楽番組の時間にはラジカセの前で始まるのを楽しみに待つのが常だった。ある日ラジオのスイッチを入れると、電波が混線したような信号や騒音が入り混じった不快な雑音が流れ出した。ラジオ局の機材かアンテナが故障したに違いない、すぐに回復して普通の番組に戻るだろうと思っていたが、ラジオのチューニングつまみを滅茶苦茶に廻し続けるように雑音や音楽が次々に切り替わる怪現象は5分近く続いた。ラジオが発狂したのか???あまりの不可解さに戸惑うばかりだったが、目当ての洋楽番組の開始時間になると何事もなかったようにDJがしゃべり始めたことにまた驚いた。こんな酷い放送事故が起こったことに気が付いていないのだろうか???翌日、ラジオ局からのお詫び文が載っていないかと新聞を隅から隅まで調べたが、放送事故や電波障害に関する記事は見つからなかった。この謎の出来事はその後もずっと筆者の心に鮮明に残っていた。

それから年月が過ぎて、プログレッシヴ・ロックやポストパンク経由でノイズミュージックやフリージャズや現代音楽、特に電子音楽やミュージックコンクレートといった怖くて難解でわかりにくい音楽を愛聴するようになった今になって、あの日の番組がおそらくNHK FMの『現代の音楽』で、あの不思議な雑音はエンディングで流れた電子音楽作品だったのではないか、ということに思い至ったわけである。記憶に照らすとシュトックハウゼンのミュージックコンクレート作品『ヒュムネン(国歌)』(1969)が近いように思えるが、日本の作曲家の電子音楽作品だったのかもしれない。長年の謎が解決した安堵と共に、半世紀近く前に筆者の心に刻み込まれた電子音楽の衝撃の大きさを実感した。このように、筆者と電子音楽との出会いは単なる聴取体験ではなく、ひとつの「事件」だったのである。

「電子音楽の個展」シリーズ『音の始源を求めてPresents 電子音楽の個展 「松平頼暁」=電子音楽VS環境音楽=NHK電子音楽スタジオ70周年記念事業Vol.3』会場Artware hub KAKEHASHI MEMORIALの入り口にて

そんな事件にも似た電子音楽体験ができるコンサートが開催されている。1954年に設立され、99年に閉鎖されるまで100作近い電子音楽作品を生み出した「NHK電子音楽スタジオ」のアーカイヴCDシリーズ『音の始源(はじまり)を求めて』を企画する大阪芸術大学音楽工学OB有志の会の主催で2023年から始まった「電子音楽の個展」シリーズである。第1回の近藤譲、第2回の湯浅譲二、第3回は一柳慧、と日本の現代音楽界を代表する重鎮を特集。第4回となる今回は、50年代から前衛的な作風を貫き、オーケストラや室内楽から電子音楽まで膨大な楽曲を残して、2023年1月9日に91歳で亡くなった松平頼暁の作品が披露された。松平は80年代にプログレ系音楽誌『MARQUEE MOON』に現代音楽の記事を寄稿しており、筆者がメシアンやヴァレーズ、サティやアイヴス、シュトックハウゼンやクセナキスなど現代音楽の偉人の存在を知ったのも、「前衛音楽の系譜」と題された松平の連載記事を通してだった。しかし当時は松平本人の音楽を聴く機会はなかった。筆者が日本の現代音楽のコンサートやレコードにアクセスする術を知らなかったこともあるが、もし知っていたとしても、彼が60~70年代に制作した電子音楽作品を聴くチャンスはなかったに違いない。というのもNHK音楽スタジオで制作された作品はラジオで放送されるほかには、作曲家自身のコンサートや特別企画イベントでごくたまに披露される程度で、レコードとして発表されることもほとんどなく、NHKスタジオの倉庫に死蔵されたまま、一般に公開されることがなかったからである。

CD:音の始源を求めて13 松平頼曉『ZENEI(前衛)』 ELECTRONICMUSIC EDITION
¥2,500税込

CDの時代になって、93年にスタートした『音の始源を求めて』シリーズをはじめとして、国内外で初期の電子音楽やミュージックコンクレートの作品群がCD復刻されたことは革命的な出来事だった。聴きたくても聴けなかった、怖くて難解でわかりにくく時に苦痛でありさえする電子音楽を、誰もが自室で楽しめる時代が来るとは、作曲家本人も想像しなかったに違いない。しかしながら、作曲家が意図した通りの環境でリアルタイムに演奏(再生)する機会はなかなか実現しなかった。

21世紀が四半世紀近く過ぎて、ついにその機会が訪れた。「電子音楽の個展」シリーズこそ、制作者(作曲家と音響技師)が制作時に想定していた(場合によっては想定以上の)音響環境で電子音楽作品を堪能できる貴重な企画である。会場に選ばれたArtware hub KAKEHASHI MEMORIALはサラウンドシステムの進化形と言える全方位型36.8chスピーカーシステムを備えた最新型のホールで、3つ以上のスピーカーで立体的な音響再生を意図して作られた電子音楽にピッタリ。とは言っても当日の会場内は前方に2台のスピーカーが設置され、それに向かって客席が並ぶだけの殺風景な空間である。聴覚を研ぎ澄ませて「音」だけを感じるしかないストイックな環境。ある意味で苦行のような時間の始まりに心がワクワクするのは私だけではないだろう。

主催者代表の日永田広氏の前説(NHK音楽スタジオや作品制作・公開に関するエピソードが興味深い)に続いて照明が暗転し、1曲目の「トランジェント ’64」が始まる。正方形の方眼紙に書かれた図を回転させながら周波数や時間や音色などのパラメータを決める方法で制作され、音源の素材として正弦波のトランジェント音(過渡的な音色)を用いた科学実験のような作品。ビーッと鳴る電子音が耳の近くから遠くへ、またその逆へと移動する感覚は、まるで聴覚で遠近法を体験するようだ。軽い船酔いに似た酩酊気分になった。

2曲目は「テープのためのアッセンブリッジス」。自由に描いた図形を波形に見立てて電子音を発生させる「フォトフォーマ」という機器を使って制作された作品で、前作とは打って変わって、変調されたロックミュージックや人の声や雑踏の騒めきや過激なパルスノイズがランダムにコラージュされた動的な音響。絶叫マシンに乗った後のような虚脱感が心地よい。

ここまで2曲は電子音楽だったが、3曲目の「おはようの音楽」は、1970年の大阪万博(Expo’70)のために制作された12チャンネルの環境音楽である。「二度と戦争を起こしてはいけない」という思いで作曲活動をしていた松平が子供たちに未来の希望を託した作品で、万博の象徴であるお祭り広場のサラウンド・スピーカーで朝の時間に流されたという。ニワトリや野鳥の鳴声、世界各国の言語による「こんにちは」のあいさつ、おもちゃの音や街の雑踏や足音など、上下前後左右から鳴る様々な音に囲まれる。会場の照明の色が変化する演出も相まって、音の森に包まれて微睡むような平和な気分になった。

本編の最後は「テープのためのアッセンブリッジス」をエンジニアの塩谷宏氏の考案によりサラウンドシステム用にリミックスした音源。照明の演出も加わり雑多な音のコラージュが踊り出すような多幸感に彩られる。

アンコールは5分ほどのコンピューター作品「コンステレーション」。クセナキスが開発した、描画を音に変換するシステムUPICを使った作品で、今回の個展のために、松平が残したカセットテープからリマスターされた未発表音源だという。現代の音響系やエレクトロニカに通じるモダンなセンスが新鮮だった。

なかなか聴く機会のない日本の電子音楽黎明期の傑作を、特別の音響環境で体験できる「電子音楽の個展」の素晴らしさは言葉では説明しきれない。強調したいのは、CDやレコードで聴くのとは、まったく次元の異なる体験だということである。殺風景なホールの薄暗がりの中、約70人の観客と並んで椅子に腰かけて、ほとんど身動きしないままで、怖くて難解でわかりにくい音響をひたすら聴くだけ。文字にすると拷問とも受け取られかねない状況だが、逆に考えればこの場でなければ体験できない貴重な時間である。サラウンド音響として多くの人が思い浮かべるだろう映画やテーマパークのアトラクションとは違って、視覚(映像)も触覚(動くアトラクション)も嗅覚・味覚(スナックやドリンク)もすべて封印して、聴覚だけを働かせ、全身を耳にして電子音楽を享受する歓び。作曲家や音響技師自身も経験できなかった、最も理想的なリスニング体験ができる我々は何と幸福なのだろうか。

「おんがく」とは「音楽=音を楽しむ」だけではない。「音我苦=音に我は苦しむ」ことも真理である。むしろ苦しみを通してしか到達できない楽しみの境地を求めてこそ、本当の「おんがくの求道者」と言えるのではなかろうか。そのためには、命がけの冒険や一か八かの無謀な賭けに出る必要はない。次回の「音の始源を求めて」のコンサートに足を運ぶだけで、あなたが体験したことのない音の驚きと閃きに満ちた「事件」に出会えるかもしれない。(2024年5月9日記)

会場に掲示されていた「音の始源を求めてpresents 残された電子音楽名作選 Last Edition」の告知。今回同様、会場はArtware hub KAKEHASHI MEMORIALにて2024年7月18日(木)に開催される。19:00開演予定と記載があるが、18:30開演予定に変更になったとのこと。