まずは坂本龍一さんの言葉を紹介します。
「バイオリンにしてもピアノにしても
全ての楽器には歴史がある
ピアノというものはピアノを使って作られてきた音楽の歴史がある。
だからピアノを弾くということはその楽器が持ってきた歴史を自分の音楽に取り入れるということ。
だがシンセサイザーにはその歴史がない。
自由である。」
ただ、現代のシンセサイザーはそれぞれに個性があり、ある意味で歴史を作ってきたとも言えます。
それらは音の流れが全て内部で繋がっているが、一つ一つを繋ぐ必要のあるモジュラーシンセサイザーはそれがない。
たくさんの元素を組み合わせて音を作っていく感覚ですね。
そこにはこれが正解と言ったことはなく、本当の意味で自由であると言えます。
ピアノなどは500年の歴史があることからも分かるように生楽器とは完成されたものであるし、
それ以上のものは無いと言えます。
しかしシンセサイザーは常に、ある種意図的にこれからも発展途上であると思っています。
触っていると常に発明している感覚なんですね。
初期のモジュラーシンセサイザーは温度、湿度、電圧がパフォーマンスと密接な関係にあり、音の再現性と言う点では不安定なものがありました。それでも音の存在感は絶大なものがあります。
シンセサイザーのパイオニア、冨田勲先生は
「いわゆる電気の音は、風の音や雷の音などと同じように自然の音である。」
とおっしゃっています。
だからこんなにも暖かい。
僕は実は少し前まで、ハード、いわゆる実機に対して否定的とまでは言いませんが懐疑的でした。音を作ることにもあまり興味がなく、曲作りとは別だと考えていました。
ハードはとにかくただ単にコストパフォーマンスが悪いと思っていて、同じような音が鳴るならソフトとの差別化は図れないとも考えていました。
ソフトでこれだけのことができるのだからハードは必要ない、と考えでいたのです。
しかし、ライブをすると決め、見た目の良さからハードを買ううちに考え方が完全に変わりました。
実際に触っていると、様々な偶然性にまるで動物と戯れているかのような感覚にとらわれます。
優しい音、荒々しい音、不思議な音。
特筆すべきはその操作性の素晴らしさです。
ほぼパラメータを両手でダイレクトに動かせられる感覚は特別なものがあります。
それに現代のモジュラーシンセサイザーは
ユーロラックと言う企画にほぼ統一され、汎用性の面で大きく進歩しました。
決してシンセサイザーはモノマネ楽器ではない。
既存の楽器を模倣したところで何も発見は
出来ない。
自分にしか出来ない音をつくる。
そのための楽器です。
だからシンセサイザーを使うのです。