レアとおぼしきサントラを勝手気ままに紹介していく『このサントラ、ちょっとレア。』明日からオールナイトで開催される森の映画祭に純粋な客として参戦するとあってなんだかウキウキドキドキ気分の志田一穂がお送りいたします。
さて、前回と前々回、二回に渡ってお送りしてきましたジャッキー・チェン映画のサントラ考察、今回が完結編でございます。

まずいつものようにリマインドしますが、志田が丸刈り中学生の頃、ジャッキーは憧れと尊敬でもう全面的に信頼しているアニキ的存在でして、テレビで映画がOAされれは必ず録画して何度も何度も繰り返しビデオで観ていた時代のお話しですね。
そんなジャッキー映画、サントラだけは、主題歌が日本語歌詞の歌だったり、作曲家やシンガーがほぼほぼ日本人だったりと、とにかく違和感大爆発。前二回でそのあたりの例はかなり紹介いたしました。ですのでここにきて、いよいよ “なぜそんなことになっていたのか?” をしっかりと解説したいと思います。
まず、時代はかなり遡ります。昭和45年(1970年)、日本では初の著作権法が制定され、以下のような法律が権利の行使という項目にまとめられました。
日本の著作権法
第63条 (「第7節 権利の行使」より)
著作権者は、他人に対し、その著作物の利用を許諾することができる。
前項の許諾を得た者は、その許諾に係る利用方法及び条件の範囲内において、その許諾に係る著作物を利用することができる。
第1項の許諾に係る著作物を利用する権利は、著作権者の承諾を得ない限り、譲渡することができない。

つまりこれ、何を言っているのかと言うと、
1 権利を持っている人が一番強いんですよということ。
2 わかりました、じゃあこの権利、使っていいですよ、でもこれだけ払ってくださいね?という条件提示はありますよ、ということ。
3 そもそも許諾していない段階では、絶対勝手に使わないでくださいよ?ということ。
ですね。
何をいまさらそんなこと、と思うことなかれ。もちろん今や全世界的に共通認識としてあるこの著作権の基礎ですが、当時のアジア界隈ではとんでもないくらい無法地帯だったのです。1978年、香港なんて国には、新婚旅行か大手会社の出張か、あるいは旅行代理店のお高いツアーへ参加する街の実力者一派や成金老夫婦くらいしか行っていなかった時代、映画界にて持て囃され、次第に人気がぐんぐん上がっていった俳優がいました。それがかのジャッキー・チェンだったわけですね。
日本の映画会社、東映の配給担当の元にその情報が報告され、一度その度合いを確認しに香港へ行ってみるかと足を運ぶと、確かにそのような良き人気状況になっているようだし、作品も観てみるとこれまでのようなブルース・リー的硬派なカンフー映画とは一線を画すコミカルな要素で、これは来るべく80年代という新たな時代にマッチするのではとすぐに日本の配給権、つまりは劇場公開の権利を取得するわけです。

で、「酔拳」という作品もあるからそれもいただこうと。ジャッキー自らが監督した「笑拳」というのもあるからそれも一緒に。しかし「笑拳」だなんて、ホントにコミカルでユニークで楽しいカンフー・アクション映画なのだなと、目のつけどころに自画自賛していたところ、日本でフィルムを確認したらとんでもないことに気づかされた。
本編につけられた音楽が、いつかどこかで聴いた曲ばかりだぞ?? と。これスター・ウォーズの曲じゃない?とか、これ007私を愛したスパイのサントラだ、とか。待って待ってこれってデ・パルマの「キャリー」の曲だよ、とか、メル・ブルックスの「サイレント・ムービー」とかマニアックすぎだろ、音楽はジョン・モリス!などなど。要するに、映画のサウンドトラックすべてが既成楽曲だったのです。著作権のちょの字も知らなければ、音楽なんて誰のでも使っていいんでしょ?的な認識でしかない。このように、かなりヤバい映画業界が、その当時の香港には蔓延しておりました。
日本での試写でそうしたツッコミを受けてしまっても、たくさんのジャッキー・カンフー映画を買ってきた担当としては買付作品たちも公開もオジャンにするわけにはいかなかったでしょうね。えーい、であれば音楽は全とっかえだ!と言ったかどうか、とにかく若手の作曲家たちにBGMなども作らせて(その中にはまだブレイク前の久石譲もいた)、どうせなら主題歌も新たに作ってレコードでシングルカットして、願わくばラジオでもかけてもらうよう働きかけて(ラジオ全盛時代ですからね)、その主題歌もキャッチーな楽曲にしてもらって、たとえ日本語でもわかりやすくて覚えやすい曲であれば別に日本語だったていいじゃないかと。

そうだ、主題歌はむしろ日本語の歌の方が親近感が沸いてウケるんじゃないか、そうだそうだそうに違いない、と。そんな流れがあったのではないかと思うのですね。このあたり、やっぱりかつてのヤクザ映画の東映ですよね。やってやったらええやんか!と、我が道に迷うことも指を指されることもなし、というスタンスが本当に勇ましいですし男らしいですし、もっとはっきり言えば、まったくややこしいし面倒くさいことしていたもんだよとも思ったり。
そうしてこの著作権の対応状況が、結果的に謎のサントラレコードたちをたくさん生んでいくということになっていったのです。丸刈り映画少年がレコードを聴きながら、なんで日本語? なんでもんた&ブラザース? なんでゴダイゴ・ワークス?? とうろたえてしまっていた原因は、映画会社の宣伝商法でしたと言われればそれまでのこと。仕方のないことだったのです。東映洋画系で最初に公開された映画が「ドランクモンキー酔拳」でしたが、その一発目からしてロック界のレジェンド、四人囃子が登場。ニュー・ウエイブなタッチもアピールされていった四人囃子というバンド、もちろんそれまでの楽曲たちとはやや異質感、違和感は拭えなかったと思いますが、「酔拳」の主題歌「拳法混乱~カンフージョン~」は作品ともマッチして結果日本でも大ヒット。最終的には、気づけば一大ジャッキーブームとなっていきました。

結局このような主題歌騒動は70年代後半から80年代中半くらいまで続きました。90年代に入ってからは、香港でも著作権に関するルールが制定され、特に音楽には目を光らせていくようになってくれました。東宝東和も相変わらずイメージソング商法を繰り替えし使っておりましたが、最終的には、ジャッキーだからこそ客が来る、という神話もいつしかなくなっていって、今振り返ると、ずいぶん集中してブームを作って各社稼いでいたなという印象があります。例えばそれは、シングル・レコード文化とともにフェードアウトしていった、ということも言えるのではないでしょうか。レコードがCDへと変わっていった80年代中半頃から、主題歌でタイアップを得て、商品やドラマ、映画などと共同で露出を狙い、またヘビーローテーションを狙って楽曲の権利を切り売りしながら営業宣伝に奔走していくと。そんな時代になっていってから、いつしか謎のサントラ楽曲などもお目にかからなくなっていったというわけです。
一言に「謎」と言っても、映画をヒットさせるため、または、それによってレコードがたくさん巷のテレビやラジオでかかって、プロモーション強化に役立てたわけだから、結局それは「謎」でもなんでもない、しっかりと理由があって存在したレアな賜物だったということでした。ジャッキー映画とそのサウンドトラック楽曲たちはその顕著な例で、実は他にもこまごまとした「謎」なアイテムは転がっているのです。まだまだ発見、発掘していかなくてはなりませんね。そんなわけで長々とジャッキー・サントラの考察でございました。
また、カッキンで!
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