このサントラ、ちょっと、レア。第26回 80年代は映画音楽こそが青春だった件

レアとおぼしきサントラを勝手気ままに紹介していく『このサントラ、ちょっとレア。』 遂に昨日、小説『映画少年マルガリータ』が発売となりました、その著者、志田一穂がご案内します。

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さぁ、突然なんですが、自分にとっての青春映画ってどんな作品でしょうか。どんな世代の方にも愛すべき青春映画が1,2本はあるのではと思うのですが、志田としてはやはりリアルタイム青春時代の80年代に特化してるんですね。

志田は1970年生まれですから70年代は映画から“青春”を感じられるものは当然まだ無くて、まぁ『ジョーズ』(1975)とか『キングコング』(1976)なんかにワ―キャーしてたガキんちょでしたので。でも、上の世代の方々なんかは、『卒業』(1967)とか『小さな恋のメロディ』(1971)とか『サタデー・ナイト・フィーバー』(1977)などに、なんとなく青春を感じて観にいったりしていたみたいですよね。

ただ、正直『卒業』のダスティン・ホフマンやフィーバーしているトラボルタを観ると、果たしてなかなか自分自身を青春のモデルとして投影出来ていたのかいなと思いますし、『小さな恋のメロディ』なんかは、所詮はまだ小学生の可愛いラブ・ロマンスだから、単に無駄にキュンキュンして、これのどのあたりが青春なのかよと、ちょっと引いてしまったりしちゃうのです。そういう意味では80年代から現れてくる、いわゆる“青春映画”というヤツは、それまでの時代とは格段に違うカタチでアプローチしてきたのでは、と思うんですね。

なぜそう思うのでしょうか。80年代になると志田も10代中半。映画大好き少年も多感な頃になって、次第に若者たちが主役の作品なんかにも、当然のことながら興味を抱いていくわけで、いい加減ジャッキーのカンフー映画ばかりではなく、ちょっとそっちの方もカジってみますか?なんて思いながら、いそいそと『ラ・ブーム』(1980)なんかが上映されている劇場へ足を運んでしまったりしてました。

そうするともう頭の中がパ~っと華やかになって、恋することってなんだかスゲェじゃん!(今のオレにはまったく縁がないけども!)と、急速に思春期の扉を開けてしまうのですね。まぁこれについてはただソフィー・マルソーが可愛いから観に行こうというだけという、単純な理由もあったってことなんですけど、じゃあ『フラッシュダンス』(1983)はどうするんだ?『フットルース』(1984)はどうするよ?ということに、映画バカとしてはフツーに発展していくわけです(フツーの人はこれはフツーじゃないと思いますが)。

で、『フラッシュダンス』です。この映画はやたらと主演のジェニファー・ビールスが注目されて、新星スター誕生とかダンスが素晴らしいとか囃し立てられ、それこそあれよあれよという間に大ヒットしてましたけど、実のところ中身を観ると結構格差社会がテーマだったり、描こうと思えばアメリカン・ドリームものに出来たのに、全然陰気でダークな物語だったりするんですね。そのあたりは監督のエイドリアン・ラインがリアリティ追究派なので、その後の監督作品を追っていけば納得できるのですが(他には『ナインハーフ』1986『危険な情事』1987『ジェイコブズ・ラダー』1990などを監督)。

じゃあなんで『フラッシュダンス』って青春映画としてガツンと響くのでしょうか。それはもう完全に音楽の効果でしかないと分析しております。アイリーン・キャラが歌うあのインパクトある表題曲「Flash Dance…What A Feeling」が映画全体を牽引していると言っても過言ではナッシングですね。暗い表情ばかりのジェニファー・ビールスに唯一の光を当てている、それがあのキャラの主題歌なのです。

公開の二年前(1981)から始まったMTVの影響で、映画界にもロック&ポップスの勢いが鳴り響き、それまでのニューシネマ然としていたアメリカ映画に、ノレるビートときらびやかなシンセサウンドが被さって、いやがおうにも観客はその波に乗せられていったわけです。サウンドトラックの大半はボーカル付ソング、つまり“歌モノ”に差し替えられ、カットバックで見せる時間経過シーンには必ずその“歌モノ”で軽やかに展開していくという、まさに時代ならではの音楽効果がはびこるかたちになっていったということなのです。

そうなるとサントラ盤もほぼロック&ポップスのコンピ状態。ビデオ時代とは言え、まだレンタル屋も普及していなかった頃には、サントラ盤を聴いて映画をリマインドしていましたが、『フラッシュダンス』や『フットルース』はその筆頭で、その“歌モノ”サントラ盤を何度も聴き、作り込まれた80s特有コテコテの華やかサウンドによって、脳内の映画記憶は完璧に音楽によって彩られていたと。それぐらい、80年代青春映画というものはサウンドトラックありきの作品だったと思うのです。

だって申し訳ないですが、『フットルース』のケニー・ロギンスの歌は細かく頭の中にインプットされているけれど、映画の中身を細かく憶えている方いますかー?と。『セント・エルモス・ファイアー』(1985)のジョン・パーの主題歌やデヴィッド・フォスターのテーマ曲は心に残っているけれど、映画のストーリーをちゃんと解説できる人いますかー?なのです。いやもちろん映画そのものが青春!という方もいらっしゃるとは思いますが、やっぱりそこには音楽、サウンドトラックが強烈に共存しているからこそだと思うんですよ。

じゃあ作品も音楽も一緒になって思い出に残っている青春映画って何だって言うのよ?そんなに言うなら教えなさいよ!という声もそろそろ聴こえてきそうなので、いよいよここから本題です(前段長すぎました)。

今回レコメンドしたい作品は、まぁここまで引っ張った挙句で恐縮ですが、ただ一作!フランシス・F・コッポラ監督の『アウトサイダー』(1983)なのですね。

当時のY.Aスター総出演という(ヤング・アダルト・スターを略してそう呼んでました)、その後の青春群像映画の基礎を提示した重要作でもありまして、それだけで女性ファンたちが劇場へ押し寄せた希少な作品でもあります。

ここで重要なのは、とは言え本作は“男の中の男の映画”だったりするところでして。具体的に言えば、男たちの熱き友情の物語、ですね。そしてとにかくそのY.Aスターたちが“ワル”なんです。

いわゆる不良グループですよ。金八で言えば三原じゅんこに沖田ヒロくんたちです。そして小さな街のくせにいっちょ前に縄張り争いが起こり、思春期の少年や青年たちが喧嘩に明け暮れるわけです。そして次第に加減がわからないまま、その抗争はいくところまでいってしまいます。仲間が殺された、どうする?仇を打つぞ!オレたちの友情の絆を見せてやる!と。ここまでくるとこんな物騒な映画、まるで東映のやさぐれ学生モノみたいな作品を、どうして女性たちが観に行きたがるでしょうか?という話しですよね。でも、当時の劇場は男女均等の観客でギッシリ埋め尽くされておりました。それぞれの切り口、男性諸氏は友情物語として、女性の皆様はY.Aスターの活躍を楽しみにという、実に見事なバランスで興行を成功させた作品となったわけです。で、肝心の音楽ですが、コレがまたうまいアプローチでした。

主題歌「Stay Gold」を歌ったのがあのスティービー・ワンダーです。若い世代にとっては、それこそ名前は聞いたことある…といった感じのアーティストでしたが、ここにきて映画の物語とベストマッチするバラードが流れ、え?これがあのスティービーさんか!と具体で認識した次第。それだけで音楽との特別な出会いになったというのに、この曲、映画のはじめと終わりにしっかり印象的に流れるのですが、その相乗効果と言ったら、ハナッから泣かせる演出じゃないか~えーん、と自然に落涙する始末

しかもこの曲、なんと当時はレコード化されなかったというスペシャルなシロモノ。日本語歌詞でカバーした謎のレコードしか出ていなかったのはまた別の機会に抗議するとして…(とりあえずタイロンてWHO?)

とにかく志田においては、なんとしてでもこの曲を聴きたいと、ビデオデッキをステレオアンプに繋いで、この曲の部分だけカセットデッキに音声ダビングし、テープで何度も聴いていたという、ちょっと変質的行動までとっておりました。だってそれぐらい…この「Stay Gold」イイ曲なんです。映画の物語とこの楽曲の融合度といったら他に類を見ないのではないでしょうか。

つまりここから何が言えるのかというと、青春のキーワードすべてが詰まっていて、それらが違和感なくミックスされている、絶妙な青春映画、それが本作だったということなんですね。映画『アウトサイダー』は全米でベストセラーとなったS.E.ヒントンによる、まさにヤング・アダルト小説が原作でした。その作品を名匠コッポラが撮るというだけでも話題性があったわけですが、ともすればやり方を間違うと映画化失敗と言われかねない。今でいう、大好きな原作マンガがとんでもないアイドルキャスティングで台無しにされてしまった!というヤツですね。だけどそこもそれこそヤング&アダルトな俳優たち、いわゆるアダルト世代の旬な俳優たちを揃えたところが本当に見事でしたし、そこにスティービーの名曲でダメ押しできたことはファインプレーの極致でした。

変なたとえですが、『時をかける少女』(1983)の主題歌は知世ちゃんが頑張って歌いますけど作詞作曲は天下のユーミンですからねと。『幻魔大戦』(1983)なんてただのアニメ映画だろと思っていたら音楽は世界のキース・エマーソンですからねと。それぐらいヤングだからって“なめんなよ”的な存在感があったわけです(まぁ個人の見解ですけど)。

ちなみに名曲「Stay Gold」はその後1994年に日本のトヨタ・カムリのCM曲として突如お茶の間のテレビから登場、『アウトサイダー』から10年強、当時青春時代を過ごした者たちにとって、驚きを隠せない瞬間がありました(私だけ?)。さしづめ80年代にこの曲に感化され、その後広告代理店に入った青年が、あの名曲を復活させようとスティービーに直談判したのでしょう。正式にリリースできるよう再レコーディングされた「Stay Gold」は、それこそ『アウトサイダー』のときのようなヒリヒリザラザラした青春の感触は薄れ気味ではありましたが、これでようやくいつもクリアなサウンドで聴けるようになるのだなと、そこだけはちょっと嬉しく感じたものです(ま、LIFEなんてメインタイトル追加した挙句、8cmCDでしたけど)。

というわけで、今回はちょっと熱く書き綴ってしまいました。80年代、これぐらい思い入れが強いのです。そのあたりは新作拙著『映画少年マルガリータ』を読んでいただければご理解いただけるかと…。

さてさて、かつての時代と格段に違う青春映画と前段でも言いましたが、もちろん描き方は異なれど、歴代名作たちでも青春映画はしっかりと輝いているということを補足しておきまい。たとえば、じゃあ『アメリカン・グラフィティ』(1973)なんかは超青春映画じゃないかと。オーメディーズの楽曲オンパレードでそれも含めて青春映画の金字塔だと。アメリカン・ニュー・シネマの一連の作品たちや、ヌーヴェルバーグの作品たちだって、視点を広く持てば、人によっては青春映画なのかもしれませんし。『イージー☆ライダー』(1969)のステッペン・ウルフのロックも、『勝手にしやがれ』(1960)のジャズ・ビートも、やっぱりどうして青春の一ページだと思っています。もっと言えば、かつてのアウトサイダーたちが主人公だった映画たち。ジェームズ・ディーンの『エデンの東』(1955)に『理由なき反抗』(1955)。名曲サントラとともに思い出に残っている方々、たくさんいるでしょう。ミュージカル映画とは言え60年代の世相を反映した『ウエストサイド物語』(1961)だって素晴らしき楽曲とともに在る、最高の青春映画ですよね。

重ねて申し上げますが、80年代とそれらが確実に異なるのは、皆大好き“歌モノ”が80sムービーに多かった、いや、“歌モノ”に支配されていた、ということに尽きるわけです。今回はその差、比較を、とうとうと述べさせていただきました。

では次回もカッキンで。

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