レアとおぼしきサントラを勝手気ままに紹介していく『このサントラ、ちょっとレア。』 新作小説『映画少年マルガリータ』を売り歩く行商作家、志田一穂がご案内します。(絶賛発売中。特典ZINE付通販はこちら 映画少年マルガリータ 著者特製の映画少年マルガリータ公式ZINE付き | ユニコの杜)

さて、今回はちょっと謎めいた掲題ですね。でも文字通りです。幻の音源。どんなアーティストにも、これレコーディングしたけど今回のアルバムにはちょっとあわないな、という一言で、いわゆる“未発表曲”、言い方変えると“お蔵入り”なんて曲、結構ありますよね。昔だったらそう言った楽曲は即“シングル盤のB面行き”だったと思いますが、配信時代になるとそんな都合のいい落ち着き場所などなく、よくて10年後のアニバーサリー・エディションにボーナストラックで収録されるとかがオチ。「幻の未発表音源発掘!」とか言って、ちゃんと保管していたくせに商売上手にやるんですよね。
で、その幻の音源ってのは映画音楽=サントラにも存在するんです。しかもかなり大胆なカタチでドドドっと存在していたりします。何がドドド、かと言うと、映画本編、すべてのサウンドトラックが、全部お蔵入りになる、なんてこともあるということなんです。え、待ってそれ意味不明、と思われるかもしれませんが、オファーを受けて、映画全編の音楽を作ったにも関わらず、全部ボツにされるということが、本当にあったんですね。そんな音源は、とにかく変態的変質的傍若無人的な監督によってこれまでジャッジされてきました。要するに変態監督の作品であればあるほど存在するということなのです。
まずはあのSF映画の金字塔、スタンリー・キューブリック監督による『2001年宇宙の旅』(1968)ですね。

何度観てもわからない。何度観てもラストで迷子になる。だけど、だから、それがイイ…。なんて評価され続けているなんとも幸せな傑作ですが、本作の音楽はあの「ツァラストゥラはかく語りき」を筆頭に皆さんご存じのクラシック音楽で全編が彩られていますよね。しかし、当初はこの作品のために作られた、オリジナルのサウンドトラックがあったのです。
それをキューブリック監督にすべて没にされてしまったのは、『スパルタカス』(1960)の音楽でキューブリックとも組んだことがあるアレックス・ノースという名作曲家でした(↓この方。なんていい人そうな顔)。

その楽曲群のレコーディングを前半部分まで仕上げたあと、ノースは過労で倒れてしまったので、その後はスコア通り、他のスタッフたちが仕上げてくれただろうと思いきや、試写で観たらなんと自分の曲が一切なく、すべてクラシック音楽になっていたと。
まぁ完成まで三年もかけて作る変態監督キューブリックですから、「やっぱりここはクラシックで」の一声さえ出てしまえば、誰もNOとは言えなかったんでしょうね。しかしこんなにいい人そうなのに、なんて可哀そうなアレックス・ノース。その後、『猿の惑星』(1968)『ランボー』(1982)の名匠ジェリー・ゴールドスミスが指揮を執り、この未発表サントラは完璧にレコーディングされ、現在ではCDアルバム「2001~デストロイ・バージョン(Alex North’s 2001)」として聴くことはできます。

あっぱれ、作曲家同士の友情の絆よ。あわせて当時ノースがレコーディングした前半部分の音源も、マスターテープが発掘されたとかで2007年にようやく音盤化。陽の目を浴びたそうです。まさにマボロシ中のマボロシレアサントラですよね。
で、実は『2001年』にはもう一つ興味深いレア・サントラがありまして、それは実は、続編として1984年に製作された映画『2010年』の音楽です。

当初この作品のテーマ曲は、ロックバンド、ポリスのギタリスト、アンディ・サマーズが手がけていました。ギター・インストであの『2001年』のテーマ「ツァラストゥラ」を演奏したものなのですが、これもまたイメージにそぐわないということで、いわゆるイメージ・トラックというポジションに格下げされてしまったのですね。

あのアンディ・サマーズがキューブリック作品の続編とコラボと、ロックファンたちは色めきだちましたが、映画を観に行ったら、え、どこにサマーズのギターが?と憤ってしまったという。まったくキューブリックの呪いはどこまでレア・サントラを生み出せば気が済むのでしょうか。
お次は1973年、衝撃の悪魔祓いホラー『エクソシスト』です。

この映画のメインテーマと言えばマイク・オールドフィールドの「チューブラ・ベルズ」がまず思い出されるでしょう。しかしこれはそもそも既成曲で、悪名高きウィリアム・フリードキン監督が(勝手に)選んできて映画に起用した楽曲。そして『2001年』同様、本作にも当初オリジナルで音楽が作られ、ちゃんとしたデモテープが存在していたのです。
それを担当したのは『スパイ大作戦(ミッション:インポッシブル)』(1966~)や『燃えよドラゴン』(1973)のラロ・シフリン(↓写真)でした。

ホントかどうか諸説あるようですが、フリードキン監督はこのデモテープを聴いて、まったくイメージとあっていないと激怒し、ラロとその家族がいる前で、そのテープを外へ投げ出したとかなんとか。何もそんなに怒らなくてもと思うのですが、このフリードキン監督、数多の勝手極まる行動で問題ばかり起こしていたトラブルメイカー(↓写真withリンダ・ブレア)。とにかくこの監督、自分の考えに沿わないと重要スタッフだろうが即解雇という、今だったらもうパワハラ、モラハラ、サントラハラで、てめぇの方が即文春砲だ、という感じなんですがね。

ま、そんな時代じゃなかったので、天下のラロ・シフリンも本作に絡むことは一切なかったのでした。近年再リリースされた本作のサントラCDには(↓写真)、その未発表テイク、3曲が皮肉にもボーナストラックで収録されているとのこと。

しかもこのCD、既に廃盤とか。まったくどうして、今や語り継がれるべきレア・サントラでございます。
最後は日本映画です。1986年の大林宣彦監督『野ゆき山ゆき海べゆき』です。

全編レコーディングされたにも関わらず、一曲も使用されなかった本作のサントラを手掛けたのは、CM時代、自主映画時代から、長年大林監督とタッグを組んできた作曲家、宮﨑尚志氏でした。
宍戸錠がブラック・ジャックを演じて話題になった『瞳の中の訪問者』(1977)や、『さびしんぼう』(1985)『彼のオートバイ、彼女の島』(1986)といった尾道ロケの名作たち、そして東宝の華麗なる正月映画『姉妹坂』(1985)など、各作品へ名曲の数々を提供してきた宮﨑氏にも関わらず、どうしても作品のイメージにあわないということで、『野ゆき山ゆき海べゆき』の音楽はすべてお蔵入りとなってしまったのです。
では、代わりの音楽を誰が担当したのかというと、これは驚くべきことに、大林宣彦監督自身が手がけられたのでした。

大林監督は元来音楽家でもありまして、自身が作った自主映画(8ミリ時代)には、必ずと言っていいほど、自分で作曲したピアノ曲を施していました。だから実は映画のサントラなどお手のもの。しかも自分の映画ですから、そのイメージを具現化するなら一番適した人とも言えるわけです。こんな監督、まぁ他にはいませんから、これはこれで話題が一つ増えたということになったわけですが。
だけど宮﨑氏の音楽はとにかく捨てがたい。ということで1997年にサントラCDを初リリースした際、正式に宮﨑尚志バージョンによる『野ゆき山ゆき海べゆき』の音楽たちも、全編収録されたのでした。

そのバージョンも是非CDに加えてほしいとお願いしてきたのは、誰あろう大林監督自身であったとのことですが…。
さて、一本の映画を作り上げるためにどれだけの関係者が動き回るのだろうか、と考えたときに、例えばそれは今回お話した音楽=サントラ製作の作業だけではなく、脚本執筆の段階でも、意に沿わないライターであればその度に交代劇があったでしょうし、あるいは俳優一人一人にしても、何度もオーディションを行ってイメージ通りの人に出会うまでは、ある意味どんどん切り捨てていかねばならないわけで、しかもなんとかこの人でトライしようと決め、撮影に入った段階でもやっぱり違うと苦悩してしまい、挙句こんなタイミングでも降板劇が展開する…なんてことは、まぁ結構あったりするのですね。

その度にそんなジャッジをくだす監督という存在は、当然のことながら問題児扱いされます。当たり前ですよね。神様じゃないんだからそんなことばかりしていたら誰もついてこなくなってしまう。しかし、概してそんな監督作品に限って、こうして延々と語り継がれていたりするのです。なので言い方を変えれば変態映画監督とは、真のアーティスト、真の芸術家、真の映画監督、と言えるのではないでしょぅか。こだわりにこだわったからこそ完璧な作品として仕上がる。一切の妥協もせず、ファースト・イメージをいかに具現化するか。それが出来なければ、逆に“真の”なんて、言えないのでしょうね。
というわけで、そんな“真の映画監督”たちの生贄になってしまった名作曲家たちによる、幻の音源エピソードにして、“真のレア・サントラ”たちのご紹介でありました。
では次回もカッキンで。
志田の映画音楽番組、湘南ビーチFM「seaside theatre」(金曜23時)もよろしく!