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【寄稿】未知なる音への欲望を共有できる一期一会の場 Text by 剛田武 / Takeshi Goda

「音の始源を求めて」は、1950年代半ばに世界の先端を走る電子音楽スタジオとして設立されたNHK電子音楽スタジオにて生まれた電子音楽の作品集です。

このNHK電子音楽スタジオ70周年記念事業Vol.4として、去る7月18日(木) に、東京のArtware hub KAKEHASHI MEMORIALにて「遺(のこ)された電子音楽名曲選『Lost Technology VS IMMERSIVE360°』」が開催されました。

このコンサートに訪れ剛田武さんが、今回も詳細なレポートをsonoに寄稿してくださいました。

音の始源を求めてPresents 遺 (のこ)された電子音楽名曲選『Lost Technology VS IMMERSIVE360°』
NHK電子音楽スタジオ70周年記念事業Vol.4

2024年7月18日(木)
会場:Artware hub KAKEHASHI MEMORIAL(西早稲田)

主催:大阪芸術大学音楽工学OB有志の会 
協賛:株式会社ジェネレックジャパン 
協力:スリーシェルズ
助成:公益財団法人かけはし芸術文化振興財団

<曲目>
1.柴田南雄/ディスプレイ ‘70.2 (1970) 10’05″ 未公開作品
2.高橋悠治/辿り (1972) 19’55″ 
3.水野修孝/怒りの日 (1972) 34’30”
4.平石博一/回転する時間(とき)(1993) 31’00”

人間はいつから音楽を認識するようになるのだろう。巷ではよく「音楽が胎教に効く」と言われているので、おなかの中にいる胎児が既に音楽を感じているように思えるが、音楽によって母親がストレスなしにリラックスして過ごせれば、胎児にもよい影響を与えられるという間接的な効果とも考えられる。寧ろ赤ん坊向けの玩具の多くが音の出る仕組みになっている事実に注目すべきであろう。おきあがりこぼしやガラガラやオルゴール付モビールなど音仕掛けのベビー用品に囲まれた新生児は、視覚より先に聴覚の刺激に反応するのではなかろうか。最初はただ聞くことしかできないが、自分で動けるようになると玩具を押したり振ったり叩いたりして、自発的に音を鳴らすようになる。それはミュージシャンへの第一歩だろうか?否、赤ん坊が音を出す行為は、声を出すのと同じコミュニケーション手段のひとつであり、この時点では音楽とは認知されていない。ここで筆者が定義する「音楽」とは、別の目的を果たすための手段ではなく、音を発する/聴くことによる快感を目的とした、聴覚主体のアクションであることにご留意いただきたい。

子供が成長するにつれて音を奏でたり歌を歌ったりする歓びに目覚める。それを聞いた親や兄弟や周りの人が喜んでくれれば益々のめり込むようになり、音を奏でたり歌ったりして人を喜ばせる行為が「音楽」だと知覚されることになる。逆に周りの人が嫌がる音、つまり“大人”の言葉で「騒音」「雑音」と呼ばれる音を出す行為は避けるようになるだろう。こうして子供時代は、他人、特に大人に喜ばれる耳馴染みのいい音だけを「音楽」として受け入れる傾向がある。

しかし、自我が芽生えるにつれて、他人を喜ばせることに疑問を持ち、自分の欲望に素直に行動することを志す者もいる。周囲の大人との軋轢が生じたとしても、一度目覚めたリビドーは消えることはない。理想的には社会との摩擦をできる限りやり過ごしつつ、唯我独尊我が道を行くのがベストプラクティスだろう(が、なかなか上手くいかないのが“青春の葛藤”と呼ばれる所以である)。音楽に関しても同様に、大人が喜ぶ当たり障りのない音ではなく、自分が出したい/聴きたい音を探求することで自我の充足を得る子供は少なくない。ロックやジャズやヒップホップなど若年層向け音楽ジャンルは選択肢のひとつかもしれない。しかし既存のジャンルに飽き足らず、未知の音への探求心、つまり聴いたことのない音を聴きたいという欲望が否応なしに沸き上がる青少年も少数ながら存在する。かくいう筆者自身もそうだった。

小学校低学年の頃から、教室の机に耳を付けて、机の裏を指で擦ってガサガサいう音を聴くのが好きだった。耳に直接振動が伝わる感触と、擦る位置によって音が変わることが面白くて、休み時間中ずっと聞き続けていたかったが、遊びに夢中なクラスメイトの中でいつまでも孤独な快感に耽っているわけにはいかず、満足するまで堪能することは叶わなかった。他にも錆びかけた体育倉庫の扉を開けるギギギという摩擦音や、電線を突風が吹くビューッという甲高い音、ラジオのチューニングつまみを廻すときに出るザーッという電波の雑音など、お気に入りの音は数多くあった。しかしそれらの音はその場限りの消え行く音で、擦る/開ける/吹く/廻すといった行為や現象に伴う付随音であり、当時の筆者にとって特別な音という意識ははなく、音だけを取り出して聴きたいとか、録音して別の場所で再生しようとか、そんなことを考えることもなかった。

やがて、70年代半ばに小型ラジオやラジオカセットレコーダー(ラジカセ)などのパーソナル音響機器が安価で買えるようになり、中高生の間でBCL(短波ラジオで国際番組を受信して楽しむ趣味)や生録(今でいうフィールドレコーディング)やエアチェック(FMラジオの録音)がブームになった。筆者も中学時代にラジカセを手に入れ、エアチェックに精を出すとともに、野外へ持ち出して自然音や環境音を録音する楽しみを見出した。電車の窓からマイクを外に向けて線路を走る音や踏切の音を録ったり、街の雑踏の中で録音したりしたものだ。生録した音は音楽そのものではなかったが、音楽以上に記憶や体験に直結したエモーショナルな聴覚的記録に他ならなかった。さらに2台のテープレコーダーを繋げて別々の音を一緒に録音する「ピンポン録音」という手法を覚えて制作した最初の録音は、自分の出鱈目なギターや打楽器に、家の中で生録した環境音を重ねた安っぽいコラージュだったと記憶している。いろいろ工夫を重ねるうちに、無くなりかけた電池でテレコを再生すると間延びした音に変わったり、ヘッドを上下逆さにするとテープの逆回転再生ができたりすることを発見して、世間一般の気持ちのいい音楽から逸脱した奇怪な音を好むようになった(そのために父の英会話用テープレコーダーをお釈迦にしてしまった)。当時10代半ばの筆者の心にあったのは、聴いたことがない音を作り出しカセットテープに録音して残す、という種の保存にも似た欲望であった。残念なのは中高生の小遣いで買えるカセットテープの数には限りがあり、一度録音したカセットを消去して新たな録音を繰り返したために、古い録音が残っていないことである。また、その当時から40年近くの間に引っ越しや大掃除などで処分した記録も数多い。個人文化史の資料として、すべての録音作品を保存しておけばよかったと悔やむこともある。

「音の始源を求めて – NHK電子音楽作品集 JAPANESE ELECTRIONIC MUSIC AT NHK」公式Webサイトより

さて、50年代~90年代にかけての日本の電子音楽作品には、聴いたことがない音を作り出そうとした人々の沸き上がる欲望とあくなき探求心が濃厚に凝縮されているように思える。そこには筆者の未熟な実験とは比べようもない、アカデミックな知識と膨大な時間と資金が注ぎ込まれている。当時のNHKは機関として日本のアートを作り保全するパトロン的な姿勢を持っていた。その象徴とも言えるNHK電子音楽スタジオはラジオ放送を前提とした作品制作を目的に設立された。作曲家と放送局のエンジニア(技師)がタッグを組んで作り上げた音源が磁気テープに記録され、ラジオで放送されたり、作曲家の公演会や現代音楽関係のコンサート等で公開されたりした。電子音楽には、作曲家が曲の構想を記した設計図のようなものがあるとしても、それは作品を再現・再演するための音符や指示を記した譜面ではなく、別名「テープ音楽」と呼ばれるように、作品は録音媒体(テープやディスク)に固定された形で提示される。ラジオでは基本的にテープに記録された音源がそのまま再生されるが、コンサートや実演会では、会場の再生装置や演出によって、録音された音源に別の要素が付加されることがある。それは一般的なクラシック作品の演奏の際に、演奏家が譜面を基に独自の解釈を施した上で実演するのに似ている。録音(記録)された音源は完成した作品ではなく、完成形は制作者本人も想定していない場合もある。つまり電子音楽の実演は、リピートできない一回限りの挑戦でありチャンスなのである。制作時期が何十年前の作品であれ、完成形を目指して作曲家や技術者の手で新たな解釈が施されることで、時代を超越した現在進行形の生ける芸術作品になるのである。

2024年7月18日(木)にArtware hub KAKEHASHI MEMORIALにて開催された「音の始源を求めてPresents 遺 (のこ)された電子音楽名曲選『Lost Technology VS IMMERSIVE360°』」の会場の様子。

NHK電子音楽スタジオ70周年記念事業の第4弾の今回の公演は、“生ける芸術”としての電子音楽4作品との一期一会の出会いを堪能させてくれた。

柴田南雄の『ディスプレイ’70.2』は大阪万博の日本政府館のために作られた作品だが、実際に会場で使われたのは『ディスプレイ’70』であって、この『’70.2』はこれまで未公開だった。雅楽の笛や西洋の打楽器を電子音と組み合わせる手法は、世界中の国が集まる万国博覧会にピッタリ。多彩な音色が印象に残る幽玄な作品。この作品が今まで倉庫で眠っていたとは罪深いことだと思えるが、保管されていたおかげで、半世紀以上経っても新鮮な感動をもたらす電子音楽の奇跡に立ち会えたことに感謝すべきかもしれない。

髙橋悠治『辿り』は、弦楽器と木管楽器中心の室内楽に、鳥や虫や風の音などの環境音がコラージュされたミュージック・コンクレート作品。髙橋は1963年に西ベルリンへ留学しクセナキスに師事し、66年にニューヨークに移住しコンピューターによる作曲を研究、71年からはインディアナ大学でクセナキスと共同で結成した「コンピューター音楽研究室」で実験の企画に協力していたが、大学側の事情で研究室の解散が決まり、72年4月にアメリカでの生活を切り上げ帰国した。『辿り』は同年11月に渋谷公会堂で開催されたリサイタルで発表されたが、マシン・トラブルのためテープ録音の音源だけが再生されたという。翌73年5月に武満徹企画・構成による西武劇場こけらおとし公演「MUSIC TODAY 今日の音楽」で舞台初演され、74年10月にNHK-FM「現代の音楽」で放送初演された。今回は30年ぶりの公開とのこと。85歳の現在も前衛音楽の最先端で活躍する高橋の原点ともいえるコンピューター音楽によるジャンルやスタイルを超越したサウンドは、怖くて難解でわかりにくい異端音楽の原初的な興奮を呼び起こしてくれた。

水野修孝「怒りの日」は三部構成の組曲だが、その中から電子音楽パートの第1部と第3部が演奏された。髙橋悠治と同様に、水野もクラシック/現代音楽に留まらない越境的な音楽活動をしており、Three Blind Miceレーベルからリリースされた『ジャズ・オーケストラ’73』と『同’75』はジャズ界でも隠れた名盤として誉れ高い。他人に任せると自分の考えている音とは違った音になる、として技師と喧嘩しながら制作したという『怒りの日』は、水野自身が即興的に操作するオシレーターやチューブラーベルが炸裂するプログレッシヴ・ロックに通じる作品。1972年8月に放送されて以来、52年ぶりの公開である。

以上、ハイ・レゾルーション・ステレオ再生による“遺された3作品”は、コンピューターもシーケンサーも、タイムコードすらない時代に、未知の音を創造するために作曲家と技師が手作業で産み出した現代では再現不可能な失われたテクノロジーによる作品だった。

後半は時代を20年進めて、1993年に制作された平石博一『回転する時間(とき)』。1987年にNHK電子音楽スタジオで作品制作をスタートした平石は、当初からサラウンド再生を目指していたが、FM放送のためにステレオで制作することを優先せざるを得なかった。それから6年の年月をかけて作り上げた1曲30分は、デジタル機器が目覚ましい進化を遂げた時代を反映し、サンプリングされた音素材をコンピュータで制御し演奏する方法で構成され、サンプラーやシーケンサー、MIDIといった新世代テクノロジーが用いられている。とはいえ当時のコンピューターはフロッピーディスクだったので、今となっては失われたテクノロジーである。そうした制作環境や技術の制約の中での探求の成果が、カケハシメモリアルのイマーシヴ360°音響システムを使って、30年前に目指したサラウンド再生を遥かに超える立体音響作品へと進化した。発振機のサインウェイヴによる「波」「音」と、生活環境に存在する具体音による「水」「雑音」「音楽」の二種類の音素材からなる音響が、聴き手の頭の周りを全方向に回転・捻転する30分は、あたかもエッシャーのだまし絵を聴覚で感じるような、錯視ならぬ錯聴とでも呼ぶべき感覚の混乱をもたらす濃厚な体験だった。狂気一歩手前のスリルと共に、魂が別世界へ解放される予感に満ちた至福体験。平石によれば、来年にはさらに進化した立体音響へと再構成することを目指しているという。未知なる音を求める欲望には終わりはない。

「過去の遺産は、実は、未来への扉なのかもしれない」(作曲家/近藤譲)

次回の電子音楽の個展は、静謐で瞑想的な音世界が海外でも高く評価される佐藤聡明の電子音楽作品特集。今度はどんな一期一会に巡り会えるのか楽しみにしていたい。(2024年8月15日記)

*NHK電子音楽スタジオで数多くの作品を制作された作曲家の湯浅譲二氏が去る 7月21日(日)に94歳で逝去されました。謹んでお悔やみを申し上げます。