レアとおぼしきサントラを勝手気ままに紹介していく『このサントラ、ちょっとレア。』明日、鎌倉駅前のPHONO KAMAKURAにて掲題のDJイベント「ロックンロール・サウンドトラック」を開催する志田一穂が今回もご案内させていただきます。

さて、ロック・サントラについてはこのコラムでもいろいろご紹介してきましたが、今回はこれらを時系列にあわせて簡単に紹介していきたいと思います。明日開催のDJイベントもそうした構成で50年代からロックンロールが映画とどのような関係を築いてきたかを解説しながらDJプレイしていくという、ちょっと誰もやったことなどないでしょう?的なイベントなので、まぁその予告編の意味合いも兼ねさせていただこうと思うのです。

諸説ありますが、最初にロックンロールが映画で流れて大ヒットした作品は1955年の『暴力教室』のテーマ曲だったビル・ヘイリーの「Rock Around The Clock」ですね。もう完全にロック=不良なイメージです。あわせて1957年にプレスリーが『監獄ロック』でタイトルそのまま「Jailhouse Rock」を歌いワルなイメージは完全定着。ロックなんて聴いちゃいけません!などとママから怒られていた時代、確かにあったんです。映画は文化の鏡ですから、そういう印象をさらに植え付けていたのだと思います。

しかし60年代になるとその雰囲気が4人の青年たちによってガラリと変わるんですね。イギリスからビートルズの登場です。社会現象的人気ともなると当然銀幕にも登場ということで、新曲と絡めた主演映画『ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ!』(1964)にてテーマ曲「A Hard Day’s Night」が、そして『ヘルプ!4人はアイドル』(1965)にてテーマ曲「Help!」が共に大ヒット。女の子もロックに夢中なの!といった新たなカルチャーが生まれたのも新鮮な現象だったのではと思います。
70年代突入前後がまた面白いです。フランスのヌーヴェルバーグに追いつけとばかりにアメリカン・ニューシネマと称して米国の若い映画人だちがヒッピー文化と絡めて自由奔放な作品を作り始めました。当然サウンドトラックにももうオーケストラは要らないと。

1967年の『卒業』におけるサイモン&ガーファンクルや、1969年の『真夜中のカーボーイ』のハリー・ニルソンなど可愛いもので、やっぱり爆弾を投下するようにロックを映画に叩き込み文字通りニューシネマと断言できたのは、1969年の『イージー☆ライダー』ですね。ステッペンウルフにザ・バーズなどのコテコテロックがしっかりと作品の荒々しさを補完してくれました。
70年代はじめは20年周期のブームで、かつての50年代ヒット曲たちがオールディーズとなって再評価されたりしました。これも面白くて、そのきっかけを作ったのが映画『アメリカン・グラフィティ』(1973)だったりするわけです。

映画の中身は夜な夜な女の子を求めて車で街をさまよい続ける悶々とした男どもの話ですが、その間ずっとラジオからあのウルフマン・ジャックが当時のヒットチャートを賑わせていたロックンロールやロックバラードを流し続けていて、それがそのままサウンドトラックになっているわけですね。こうなるとサントラレコードも昔懐かしいヒット曲コンピレーションとなって売れに売れたと。
一方で同年あの007シリーズ最新作『007 死ぬのは奴らだ』の主題歌にビートルズ解散後ウイングスを結成したポール・マッカートニーが参戦し、これまでにないロックな主題歌「Live And Let Die」を放ったりするわけで、新旧ミックス的70sの始まりとなってホントに興味深い状況なのです。

また、ディスコブームでブレイクした『サタデーナイト・フィーバー』(1977)。こちらをロックのカテゴリーに入れちゃってもイイの?という自問自答もあるのですが、それよりその主題歌を歌ったビー・ジーズが、まったく違うノリで、既に『小さな恋のメロディ』(1971)の映画音楽を担当していたことの方が重要ですよね。何が言いたいかと言うと、時代の風潮(流行)に従って、アーティストたちも素早くその傾向に対して対応&対策していかねば生き残れませんよということですよね。

可愛い「Melody Fair」からダンシングな「Stayin’ Alive」へ、ビー・ジーズは映画の広がりを利用して華麗なる方向転換を提示し、どちらもファンにとって大切な曲にしてもらうことに成功した最初のグループほアーティストだと思います。
80年代は言わずもがな1981年開局のMTVが大きく音楽業界に影響し、映像と音楽のコラボ時代となっていきます。同時にビデオが各家庭に入り込み、フィルム文化の終焉の始まりもこの時期となっていくのですね。「MTV映画」なんて古い映画ファンたちからはバカにされていましたが、だけどそれこそが時代を映す最たる作品たちで、『フラッシュダンス』(1983)、『フットルース』(1984)、『ストリート・オブ・ファイヤー』(1984)などから始まり、全編にシンセばりばりのロック&ポップスが流れ続ける、長編MTV的作品が粗製乱造していきました。

ただ、この時代のサントラ盤を聴いて、これまで知らなかったアーティストやバンドを知るきっかけになったのも事実。この時期がリアルタイム青春時代だった小生などは、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』(1985)でヒューイ・ルイス&ザ・ニュースを知り、『グーニーズ』(1985)でシンディ・ローパーのファンになり、『セントエルモスファイアー』でジョン・パーが記憶喪失になっちゃったことも知ったりと、もうこの時代のロックは完全に映画とともにあったわけです。
しかしこれが90年代になるとまたまた20年周期で70sやその前の60s、50sに至るまで、リバイバル・ブームというものが巻き起こるから面白いというよりもはやメンドクサイ状況に。日本でもそれらオールド・カルチャーをファッションとして捉えて渋谷系とか言い出す始末で、新しい音楽もオルタナティヴとか言われ始め、もうホンモノのロックはいったいどこへ行ったんでしょうか?と、小生当時はやや嘆き気味だった記憶があります。

極めつけはクエンティン・タランティーノの登場で、この人監督でありながらほとんどDJみたいなノリで映画音楽の在り方を変えてしまったんですね。ようするにDJって自分がディグったグルーヴィンなレコードをフロアで回して注目を浴びるヤツなもんで、タランティーノは映画の中でそれをやらかしたニクいヤツ、いや、厄介なヤツなんです。またこれがいい選曲だから困ってしまうんですね。映画のために主題歌を書くなんて時代が、いやいやリバイバルの方がカッコイイし、オルタナ時代はこっちでしょ?みたいなことをほざく若者が増えちゃって、まぁロック界も映画界も既におっさんになりつつあったコチラ世代としてはイライラしていたものです。
『レザボア・ドッグス』(1992)や『パルプ・フィクション』(1994)などはまだDJっぷりを発揮しているからセンスの問題として評価しないわけではないのですが、2003年の『キル・ビル』シリーズになると他人の映画のサントラやテーマ曲を引用ならぬ流用し始めたから、さすがにこれには天下のエンニオ・モリコーネもご立腹したとかしないとか。

日本で製作されてオイオイとツッコミ必至だった『新・仁義なき戦い。』(2000)は、テーマ曲はあの布袋寅泰が担当し、東京オリンピック2020の開会式で演奏されるくらいの人気曲になっていましたが、実のところタランテイーノが『キル・ビル vol.1』で流用して映画もろとも大ヒットしたからっていうのはここだけのハナシです。

結局そんな楽曲引用は、以降映画界では普通の音楽演出術となっていって、まぁ増える増える引用引用また引用な状況で、昨今はさすがに劇伴とうまく使い分けたりする作品も増えてきましたが、ただ単にイメージが合うからと言って引用してくる作品はもうちょっとノーサンキュー☆な気持ちに相変わらずなったりするんですけどね。
2000年代、2010年代になるとCG技術の完成度も物凄いことになってきて、何を観ても驚かないくらい、変な慣れが映画鑑賞時に身についてきましたが、こと音楽映画で言えば、やはり『ボヘミアン・ラプソディー』(2018)のライブエイドの再現シークエンスが衝撃モノでした。

あそこまでCGによって完全再現されると、これからもまだまだ、音楽、特にロックの伝記作品たちがこぞって製作されていくのではないかと。もちろん過去にもそうした作品はありましたが、クオリティーがあがることによってリアリティーが増し、その分、音楽、かつてのロック&ポップスに触れやすくなっていくのではと感じているのです。

既に話題作、マイケル・ジャクソンの半生を描いた『マイケル』の公開も控えていますし、そうしたロックを感じる映画の歴史はまだまだ続いていきそうで、そういう意味ではいちいちぶつぶつ言いながらも、楽しみであることは間違いないのであります。では壮大な予告編は終了して、明日4/25(土)、PHONO KAMAKURAでお会いしましょう!こちらはまた隔週後に。
志田一穂がジョニー志田名義でお送りしている湘南ビーチFM『seaside theatre』こちらは毎週土曜20時からOA中。是非聴いてください!