
レアとおぼしきサントラを勝手気ままに紹介していく『このサントラ、ちょっとレア。』 新作小説『映画少年マルガリータ』がそこそこ好評の著者、志田一穂がご案内します。

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さて今回は掲題の名作曲家、バーナード・ハーマン(1911~1975)をしっかりと紹介したいのです。なぜ今ハーマンなのか?それは拙著『映画少年マルガリータ』の物語にも登場する、アルフレッド・ヒッチコック監督作品の音楽担当の方でありまして、80年代中学生の頃に、志田がリバイバル公開やテレビオンエアなどでヒッチコック映画と出会った際、その映画自体の素晴らしさもさることながら、その音楽、その人、バーナード・ハーマンによる楽曲がとにかく衝撃だったため、恐縮ながら拙著の紹介をしつつの、今回はハーマン讃歌を記しておきたいのであります。(だってこんな機会ないですからね)

さて、そもそもバーナード・ハーマンの映画音楽が有名になったのはヒッチコック作品からではないんです。1941年にはじめて映画音楽を手掛けたのは、あのオーソン・ウェルズの名作『市民ケーン』と、ウィリアム・デターレ監督の『悪魔の金』という作品でした。そして既に後者の音楽で、いきなりアカデミー賞作曲賞をハーマンは受賞しているのですね。デターレ監督の作風自体が新ロマン主義と言われたサスペンスもので、作曲スタンスとして同様の主張をしていたハーマンも、この『悪魔の金』にうまくシンクロしたということなのです。

40年代の新ロマン主義とは、それまでのクラシック音楽の輪郭をなぞりつつも、新たな波を自身の心の動きとともに情緒を感じさせながら構築するという、映画史的に例えてみれば、それは50年代後期に見られたフランス発のヌーヴェルバーグの動き、のようなものではないかと。つまりハーマンの音楽=楽曲は、新規的アプローチに満ちていたクラシック・サウンドであり、それが映画界では唐突に見いだされる結果となって、受賞評価へと繋がったのではないかと思うわけです。

確かにハーマンの楽曲は、映画音楽であるがゆえに、各場面に相応しい必要レベルの抑揚をつけたアレンジで表現されているわけですが、しかしそれにも増してとても感情的というか、要するにメロディアスなサウンドの演出が、他より圧倒的に長けている、と感じるのですね。しかもライトモチーフといって、ラブ・シークエンスのときならこのメロディ・フレーズ、サスペンスフルなシークエンスであればこちらのメロディ・フレーズと、まさにキャストたちの心の動きや、場面が切り替わってどのような物語がつづられるのか、その空気感までも捉えたりといった音楽演出が、他よりも群を抜いていたということなのです。

それらが顕著に現れていたのが前述したアルフレッド・ヒッチコック監督作品で担当したハーマン・サウンドで、特に50年代から60年代にかけての一連の作品において、独特な音楽アプローチが映画とともに観客を唸らせていたというわけなのです。もっと言えば、このタッグ、ヒッチコックとハーマンの繋がりが実現したことによって、いかに映画史において語り継がれるべき重要エピソードが多々生まれていったか、ということにも着地していくのですね。
ところで、いきなりですが志田の丸刈り中学生の頃なんですが、世間は一気にビデオの時代に突入していたので、我が家にもビデオデッキがやってきて、喜々としてテレビの番組、特に映画番組を録画して、何度も何度も同じ作品を観ることに楽しさを感じていたのです。

そんなとき、1983年あたりでしょうかね。ソニー一社提供の「名作洋画ノーカット10週」という、映画大好き丸刈り少年にとっては発作を起こすくらい嬉しいスペシャル・プログラムがオンエアされることになったのです。今でこそ珍しくありませんが、映画をノーカットで放送するなんて番組は当時NHKぐらいしかやってなかったので(しかもごくたまに)、それを民放(TBSでした)でやってしまうという、それを10週=10作品もということは、なかなか驚きの編成だったわけです。

あとからよくよく分析してみれば、これはビデオデッキ、特にソニーなのでベータのビデオハードの販売促進番組だったと。我々自社提供番組なのでCMは真ん中に一回だけ入れるだけにしておきますから、この映画たちをノーカット放送で是非楽しんでくださいねと。併せてせっかくですからビデオに録っておくなんてのも良いんじゃないですか?と。え?ビデオがまだない?であればベータのデッキがオススメですよ、ほらこちらにカタログが…、なんて広告がテレビ情報誌にわんさか掲載されていたなと。美味しいネタにはこんなウラ事情がちゃんとあるってことを、その頃の丸刈り中学生はまだ知る由も無いのですが、逆に言えばそんなことは映画少年にとってどうでもいいと。とにかく10週、すべて堪能しましたね。どんなラインアップかと言うと…
ジャイアンツ(1959) ロミオとジュリエット(1954) 男と女(1966)
夜の大捜査線(1967) 真夜中のカーボーイ(1969) 荒馬と女(1961)
騎兵隊(1959) マイ・フェア・レディ(1964) あなただけ今晩は(1963)
と、もう偉大なる名作傑作ばかりだったわけですよ。で、最後の10作品目がサイゴだけに『サイコ』(1960)だったわけですね。解説担当で出演していた関光夫さんも「さぁ、いこ~」なんてさらにダジャレづいていましたが、とにかくこのヒッチコック監督、ハーマン音楽による『サイコ』に、マルガリータ志田はノックアウトされてしまったわけです。

昨今では恐怖の場面、危機が迫る場面、脅威が襲い掛かる場面になると必ず引用されていますが、それが作品の中でも強烈なインパクトを与えるシャワールームでの惨殺シーン楽曲ですね。しかも冒頭から登場するヒロイン的主人公、ジャネット・リーが、モーテルのシャワールームで全裸のまま謎の魔にナイフでめった刺しにされるという、「え!いきなり主人公殺されちゃったけど!?」という、なかなかのトラウマ・シーンな曲です。


そこに響き渡る、決して耳障りが良いとは言えない、弦楽四重奏のヒリヒリした楽曲「THE MURDER」。当初ヒッチコック監督はこの惨殺シーンには音楽は不要、と考えていたそうですが、対してハーマンは、この場面にこそ映画的醍醐味を感じさせる音楽が絶対必要と、結果その後も引用され続けることとなるあの恐怖の楽曲を投下したわけです。

弦楽四重奏と説明しましたが、実はこの『サイコ』という作品、その他すべての音楽も2本のヴァイオリン、1本ずつのヴィオラ、チェロという最少編成で演奏されているのです。これもまたハーマンのアイディアで、大仰なオーケストレーション・サウンドとアレンジはこの不気味極まりない映画には似合わないと、極力シンプルな構成で、感情そのものにダイレクトに突き刺さるような楽曲たちを次々と作曲していったのです。もちろんそれまでも、そしてそれからも、オーケストラ楽団を用いたダイナミックな音楽演出を披露していたハーマンですが(『知りすぎていた男』1956、『めまい』1958『北北西に進路を取れ』(1959)などの名曲は多々)、やはり根本的な作家主義として新ロマン派であったハーマン独特の、これまでにない音楽アプローチにおいては、この『サイコ』が真骨頂なのではないかと感じざるを得ないのです。

それは言ってみれば映画作品そのものに対しての最大のリスペクトではないかとも思うのですね。当たり前の楽曲サウンドを付けるのではなく、その作品に一番相応しいサウドトラックはどんなサウンドなのか?という問いから入るスタンスは、かつての『悪魔の金』の頃から一貫している、“アーティストとしての主義”として伝わってくるのです。それぐらいハーマンによる『サイコ』の音楽は本編と一体化していて、その完成度と貢献度は映画史の中でNo.1と言えるのではないかと思っています。
その後のハーマン作品でもう一つ特筆しておきたいのが皆さんご存じではないかと思われるヒッチコックの代表作、『鳥』(1963)です。

タイトルそのままに、まさに実際 “鳥!”でしかない内容の本作ですが、実はこの作品には、音楽らしい音楽が存在していないのです。何か器械的な効果音がときにメロディを感じさせる、それぐらいの “音響” が全編に散りばめられているという、これはこれでかなり特殊な演出なのですね。しかしクレジットにはしっかりとハーマンの名が出てくるのですが、よく見るとそれは「サウンド・コンサルト」とあるわけです。要はハーマンは、本作には音楽ではなく鳥の鳴き声を電気的構成によってコラージュした、一種の“効果音”として使用しようと決めたのです。それが“鳥の群れによる恐怖の音響”として映画に刻み込まれたと。これもまた新規アプローチを大胆にやってのけたハーマン伝説の一つと言えるのではないでしょうか。もちろんこの映画『鳥』のサウンドトラック・レコードは未だにリリースはされておりません。

さて、こうした偉業の数々を展開してきたヒッチコックとハーマンですが、その後も多くの映画監督や作曲家、各界のアーティストたちへ影響を与えてきてまして、例えば映画監督で言えばブライアン・デ・パルマが『殺しのドレス』(1980)や『ボディ・ダブル』(1984)などでヒッチコック作品をリモデル的にリスペクトしていたり、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』(1985)の監督、ロバート・ゼメキスは『ホワット・ライズ・ビニース』(2000)で作風はもちろんのこと、音楽を完全にハーマン節で再現していたり。さらに『サイコ』そのものを映像構成と台詞、音楽、すべて再現リメイクしたガス・ヴァン・サント監督の『サイコ』(1998)という作品が存在すること自体も驚異でした(こちらはオリジナルがモノクロ作品だったことに対してあえてカラー作品で製作)。

製作から22年後を描いた『サイコ2』(1983)をヒッチコックが好きすぎて映画監督を志したオーストラリアの若きディレクター、リチャード・フランクリンが手がけたことにも驚かされましたね(この続編シリーズはパート4まで続き、さらに前日譚やスピンオフまで、果てしなく不気味なサイコ伝説が綴られていくことに)。この『サイコ2』の音楽を担当したジェリー・ゴールドスミス(『猿の惑星』1968『エイリアン』1979『スター・トレック』1979)もまた、かつてヒッチコックの『白い恐怖』(1945)を観て感化され、映画音楽の道を志したというから、とにかくもうその影響力たるや、そしてこれらは氷山の一角で、いかにヒッチコックとハーマンのタッグが強烈なものだったかが理解できるのであります。

最後にもう一作、ヒッチコック作品以外でハーマン御大の代表作となった作品、かつ、遺作となった作品をご紹介して今回は〆といたしましょう。マーティン・スコセッシ監督の代表的作品『タクシードライバー』(1976)ですね。

70年代半ばになると映画界でも音楽に対しての捉え方もかなり変動してきて、それまでのジャズがクロスオーバーに変わっていったり(デイヴ・グルーシンらによる作風など)、アメリカン・ニュー・シネマで引用されたロックも、ポップスやディスコといった、シンセサイザーを多用化したサウンドに進化していったりしておりました。そんな中でハーマンは、作品の舞台となっているニューヨークの荒廃然とした世界観を、フュージョン・テイストのジャズとして昇華させ、映画『タクシードライバー』に提供したのです。そのメイン・テーマは最たる相応しきサウンドで、主人公トラヴィス(ロバート・デ・ニーロ)の悲哀に満ちた、しかし異質的な正義感を柔らかに感じさせる絶妙な楽曲となっており、作品の第二の顔とも言うべき存在感で、しっかりと劇中に響き渡っています。時代が変わっても、ハーマンの音楽アプローチもやはり変わらず存在していることが確認できる名作、そして名曲なのですね。

拙著『映画少年マルガリータ』の舞台となっている80年代は、ビデオ台頭時代だからこそ、映画館も負けるなと言わんばかりに、リバイバル作品などで名作たちを大スクリーンで上映し、テレビサイズのビデオに対抗していたという、つまりは映画少年にとっては過去の映画史もミックスして楽しめた、とても稀有な時代でありました。そこには角川映画やスピルバーグの『E.T.』やジャッキーのカンフー映画などと一緒に、ヒッチコックもハーマンも共存していたとも、自分としては言えてしまうのですね。でもそれが面白かった。楽しかった。皆さんも是非、新旧取り混ぜて映画を楽しんでみると、新しい発見や気づきを得ることができるかもしれません。
では次回もカッキンで。
毎週金曜夜11時から、志田の映画音楽番組、湘南ビーチFM「seaside theatre」もよろしく。